見出し画像

2024/09/30日記_憐れみの3章、観てきた

妻が帰省するので朝早く駅まで送った。いったん家に戻り、食パンをかじって映画館に早めに出発した。昨夜から映画館の会員ログインできず、パスワードリセットしてもダメで、何度もログインエラーをしていたらアカウントがロックされてしまった。仕方なく何年かぶりに窓口で購入した。

『憐れみの3章』はヨルゴス・ランティモス作品だからとても楽しみにしていた。観終えてみて良かったけど満足度は高くなかった。それがなぜかを今も考え続けている。ダメな理由を挙げるみたいになってしまうけど、物足りなかったところ書いてみよう。そうしたら良かったところも思い出すかもしれないし、仕方ないと思うところもあるだろう。

原題が『Kinds of kindness』だから親切さの種類みたいな意味なのだろう。映画では支配と依存について違ったオムニバスの3編で描いていた。1章は企業の裕福な社長と従順な部下の話で、結婚相手、1日の食事、性生活まで指示される。自動車事故を装って人を殺すよう命令されて、その顛末を描く。2章は警察官の妻は学者で、研究に向かった僻地で行方不明になる。発見されて無事に元の生活に戻るも以前の妻と様子が変わっている。警察官の夫は、中身は妻ではないのではと疑心暗鬼になりながら精神が不安定になっていく。3章はエマストーン演じるエミリーが夫との不和から家を出て、宗教団体の内部で生活している。その宗教団体の教祖夫妻の指示で命を蘇らせる力を持った女性を探す。

1章と3章は立場による支配の構図は似ていて、服従と引き換えに報いを得る。違いと言えば1章では社長への服従の対価として社会的&経済的地位が人質になっていて、3章では宗教団体内部の居場所が人質になっている。2章は夫婦の関係で愛する夫のためなら、どんな激痛に耐えてもこの身を捧げる、みたいに見えるけどどちらが支配しているかはわからない終わり方になっている。

物足りないのは自分なりに考える宿題的な問いかけがないからかもしれない。『哀れなるものたち』であれば女性や医療に関する常識を覆したり、問いかけがあった。『憐れみ』はそれが強くなく、支配と被支配の関係が決まっているし、社会の現状を描いているようにしか見えなかった。随所に笑えたりシュールなネタはあった。

予告編がにぎやかだったけど映画は淡々としていたり、ヨルゴス・ランティモスに期待していたからかもしれない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?