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2025年第3週の日記
1月13日(月)
雲がある晴れ
たった1日のことを憶えておくのだってとても難しい。
朝起きて出勤する。
今日は残業した。2h
あとは今夜にでも引越し先の部屋を決めたい。
夜、空室確認して朝イチのメールで埋まってるとかあって焦ってる。
帰り道に「明太麻辣豚骨拉麺」を食べる、名前が旨そうすぎて名前負けしているだろうなとか思ってた。セットの餃子がすこぶる美味かった。
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僕は日記を書くようになってこんなに飯に対して口が悪かったんだと気付いている。申し訳ない。わざわざ書かないでいいのになって気持ちと、なんか書かないのは嘘っぽいなという気持ちとで結局自己利益を優先している。そのことの方がよっぽどダメかもしれない、別に美味しくないこたなかったのに、書いたっていいことがないのに。でも、お金を払って期待に敵わない飯を食べた虚しさについて、微風が何も翻さないように書き損ねるのは嘘だと思って、嘘が嫌だった。
1月14日(火)
曇りがちで洗濯をサボる口実にした
今日は明日の休みに備えて残業をしないようにした。
嘘、「残業できそ?」って聞かれて「あ、全然行けますよ」までは言った、言った上で偶々案件が流れて対応しなくてすんだからすぐ帰れちゃった。
よかった~~~~~~~~~~~~~。
帰りが早いとなれば寄り道タイムじゃん、とりあえずガチャガチャを回す。
プロレスマスクの分を手に入れたいと思って粘ったらシークレットも含めて狐面のキャラ3種揃えてしまった。こりゃあもうやめとき~って言われてる感じがしてやめた。
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その後スーパーに寄ったけど、今から1時間かけて帰って包丁を握る気がしなくて、全然買い物に気が乗らなかった。かと言って惣菜を買うのは怠惰に贅沢を上塗りするようで嫌だった。
結局スーパーは往復だけして何も買わずに出て行って、それから、どうしたろうか。確かたい焼きを買った。栗とチョコのやつ、デザートの買い食いはなんか許せた、自分の心のなんか許せる隙間を見つけるのはとても大切で、とても欺瞞だと思う。
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そのあとは帰った、帰って何か食べた気もするが食べていない気もする。食べるのはとても面倒くさい、特に一人暮らしの自炊は、情動が身体に奉仕する時間だと思えてやる気がでない。
「自炊は自分を労る時間で、手を抜いてもいいし何でもいい、だからちゃんとご飯食べよう」と自分の中の正しそうな人は提案する。そんな「自分の機嫌を自分で取る」っぽい言説が、確かに正しいような、正しい嘘として燻っているような気がする。別にそう考えてる人を否定したくないし、自分の正しくなさを棚に上げたいだけなんだろうけど。
自分の機嫌とか他人にかける迷惑とかは、幸福の為に守るべき倫理の尺度としてだけあったらいい。
僕の自我は身体と気持ちの狭間で中間管理職をしていて、かなり気持ち寄りの立場を取っている。でも、自我が気持ちとしてだけ生きるには、身体が干渉しすぎてくる。だから、気持ちを身体から守る為に自我が働いているようだった。だから気持ちと自我は別なんかなって。例えば、飯を食べたくないという気持ちに従っていると空腹という責苦を寄越す。身体は気持ちを駆り立ててくる。それを見て自我は気持ちが可哀想と思う。可哀想になることを予期している、でも自我は何か嫌な予感がしてご飯を食べる。
ご飯を食べると身体から快楽という報酬が与えられる。
そんなことを考えてるから自炊がままならないんだよ、とラフに一蹴して、今夜は恋人と通話しながらまた部屋を探した。
すこぶる良い部屋が見つかり、すぐ申し込む。日を跨ぐくらいの時間だったけどwebでとりあえずメールを送る、部屋決めは早い者勝ちだ。幸い明日は休みだったし。ただ、思春期のようにしきりに恋人へ「もう埋まってるかもだから」って保険をうった。部屋が良すぎたから、ダメだったら落ち込むなと思って。そしたらその後すぐに電話が来た、普通に仕事関連の電話かと思って冷や汗かきながらでたら不動産屋やった、マジで!?キャッチホン付けててよかった〜〜。そして不動産屋の働き方怖すぎる、新生活前の書き入れ時とはいえ0時回って個人に電話かけるの厳つい。
何とまだ空室とのことだったので即来店予約、人生で0時回ってから家に居て営業かけられることがあるなんて思ってもみなかったから時折りなんか笑いそうになるのを堪えて対応した。
キャッチホンでの対応が終わって電話越しの恋人に不動産からもう連絡があったことを伝える「えぇ!!?」と返ってくる、分かる、今一番わかる、嬉しい〜。
明日決めちゃうしかないか〜と寝る。午前中に行くことにしちゃったし。
1月15日(水)
天気予報に「今から雪が降ります」って言われた
今日明日は今月ラストの連休で、このタイミングで必ず部屋を契約しちゃると意気込んでいる。一方で日跨いでも営業してるお兄さんに会いに行くというのはちょい怖だった。
降り慣れない東比恵駅に降りてからマップを頼りに歩く。意外とギリギリになったからチャリチャリを借りる。チャリチャリってあり得ないほど乗りにくいけどそれでも歩くより幾分か速くてすごい。と感動しつつも、乗り慣れない経路のチャリチャリは停め先も全然分かんなくて最終焦るよな、とマップのピンが指す住居用マンションにある駐輪場を探す自分が不審者すぎる不安を不満に変えながら思う。ただまあチャリチャリのおかげで不動産屋の予約に間に合う。件のお兄さんに「お久し、ぶりですね」とブラマヨ小杉さんの持ちギャグみたいな笑顔を向けられる。
座ってからはトントン拍子で目当ての部屋に申し込む。この時期の部屋の埋まる速度に怯えていたから、内見とかしてないけど申し込んだ、今になってちょっとそのことに怯え変えている。
一応、と元入居者は居て部屋の中までは観られないけど入居希望のビルの外観だけ眺めに行くことになる。不動産屋の全然洗われてなくて黄砂の目立つ車に乗せてもらう。最後駐車場に乗り込む際のお兄さんの右折が結構無茶で、心配しちゃう。「従兄弟が昔不動産屋で働いてたんですけど、運転下手すぎて半年で三回ぐらい擦っちゃってたらしくて、そんなのも聞いてたのもあってお仕事で運転されるの大変なのわかります〜」って話が、フォローってよりは普通に空気を冷やしそうな気がして辞める。
一通り建物の状況を確認して、写真を撮って恋人に送る、連日夜中に通話をしながら探して出会った部屋だったし、同棲の機運が高まる、同棲が"マジ"になることによってだけ吹く風がある。
書くのに疲れたところだけれど、僕はここから『ビーキーパー』という映画を観に博多駅に向かう。
もう明らかにスキンヘッドのゴツい男が"キレる"だけの映画で、それを観に行ったはいいものの、あまりにもそれだけの映画で笑える。キレる対象なんかは非常に社会風刺的なんだけど、それすらただフルボッコにする快楽の踏み台にしかならない。そもそも現実の設定だとしたらば悪役の戯画化が激しすぎる。全体的に結局何が何だったのかは分からない、分からせようというつもりがない事も、それでも観客を楽しませようという事それぞれがあまりにもあからさまで、メタに見てもほくそ笑んでしまう。
ステイサムの後釜をやっている敵とか、ラストバトルでやっとステイサムと互角の殴り合いをする男なんかはもう不気味の谷に片足を置いているほど嘘みたいなルックで、その二人とのシークエンスが一番楽しかった。
ステイサムの映画では圧倒的に『アドレナリン』が好みだ
概要
マフィアのリッキーに毒を盛られ、余命一時間の敏腕暗殺者シェブ。興奮時に分泌されるアドレナリンを出し続ければ延命できると医師に聞かされた彼は、無数の麻薬を服用したり、セックスをしたりと、さまざまな方法で自身を興奮させながらリッキーを追う。
「追う。」とか締めてその先にストーリーがあるみたいな書き振りだけど、そんなのは、そんなものである。せいぜいマリオブラザーズ程度のお話に最高のアドレナリン上昇大喜利が爆裂するだけの映画だ。ポップコーンムービーっていう言葉はこの映画を指す固有名詞なんじゃないなと思うほどにガサツで、バカみたいなことを馬鹿にされてるみたいにぶつけられる。本当にバカみたいな映画で、だからどんなあなたとでも一緒に観たい。
1月16日(木)
ドアtoドアで映画を見た後夜になってたから、天気は黒で、ってことは晴れだったんだろうね
今日は『小学校~それは小さな社会~』を見ると決めていた、決めていたのに。新居を決めたことを受けて架かってくるライフラインサポートのすまえる?とかいう会社からの電話に対応して、対応終わってから家出るまでに変に余裕があってしまって、その時間の使い切り方が分かんなくて、ちょっと間に合わない時間のバスに乗る外なくなった。レンタカーして、都市高速の料金を払って、天神の駐車場にレンタカーを停めちゃったら間に合うけど、それっていくら払うつもりなんだという顔で家の近くのバス停とカーシェアの駐車場との真ん中に佇む時間があった。
ざっくりと時間を迫らせるからバスは善い。佇みに僕の気持ちを風化させない。思わずカーシェアを借りてしまおうかと思う瞬間もあったけれど、決めきれない隙をバスは大きな車体ごと時間を押し寄せさせて僕の体をバスの乗車に駆り立てる。納得できんまま数千円は払えないからバスに乗る。少し遅れて映画を見始めることは確定したけど、『小学校〜それは小さな社会〜』ってドキュメンタリーだから配信されないだろうしと自分を慰めた。
映画の中身は普通に面白かった。誰にフォーカスを当てていても、時系列順に小学校での出来事を並べると感動的になる。それが数百有機的に絡みあう箱として小学校があるような、感じがあった。後は小学生の優しさのあられもなさには感動とは違う原始的な温もりを感じた。
終わってからは新居の周囲を夜お散歩する時間だ、同居する予定の恋人は遠方におり、家の周囲は見られないので家からスーパーとか、最寄り駅とか、いろいろ歩いて騒音とか人通りとか、時間とかも実測する。それを動画で送ったり、楽しい。
楽しいけどとんとん拍子で進んでいるような、決定的な何かを見逃していてもおかしくないような胸の空くような不安が少し頬を撫でていて、振り向きまくっている、答えようもないような質問をLINEで友達に投げかけてみる。まるで友情を確かめるみたいになって、関係性をすり減らしている気がする。答えを投げかけて終わりみたいなコミュニケーションは駄目だと思う、意味があるばっかりも疲れるし、何なら何も喋らないで親友だと強く想い続けるだけがいい気もしてくる。1番は会った方がいい気がする。次会ったら握手をしよう、手が一歳老けたようなことを伝えられたい気持ちだ。
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『大きな家』で児童養護施設の職員さんが施設に暮らす子供に対しての想いとして「見えないけれど繋がっていることを感じてほしい」(思い出し書きなので完全な引用ではないです)というようなことを語っていたことを思い出す。説教めいていて、いざ面と向かって言われようものなら反論したくなるような言葉な気もするが、映画の中で出てきたその言葉は不思議と腹落ちした。
確かに腹落ちして、したし、してもそれでも、僕はいつでもその見えない真意を暴こうと、空気の膜を破りながら、透明な血を浴びている、ことを突きつけられた(誰に??)。
どこまで行ってもお互いの輪郭は保たれたままなのに、なるべく核に近いところまで肌を押し込んで、角が突き上げてきてるってことは相手も痛いって分かるのにそれも忘れて、貴方の言葉を教えてくれと迫りたくなる、衝動に駆られる。全部の動機を言葉にして並べ立ててくれと相手の喉ちんこを掴み上げたくなる。何を語ってくれようとその人のナラティブというか、歪んだプリズム越しの偏光しか届きはしないのに。やけに彩度の高い光達を受け止めて、散らばった光たちが秘めた、根源的な白さだけを愛でたいんだよ。
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1月17日(金)
遅刻に怯えたタクシーからは見えなかった雨が目的地の駅を濡らしていた。
いつも出勤する先とは違うビルで研修を受ける。もう何度も聞いたことのある内容をなぞるだけ、ってくさす準備をしてたのに、わりあい楽しいロープレとかもあって満喫してしまった。
昼は会場のあった薬院で一番好きな「餃子-李-」っていう中華料理屋に行った。薬院付近で食事をするとなると食べられるんじゃないかといつもそわそわしてしまう店だ、先輩も連れて行く。先輩は激ウマの麻婆豆腐を前に「すげぇ…すげぇ…」としきりに囁いていて、何かは知らないけど何かの冥利に尽きる自分を観測した。
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研修は昼過ぎに終わってすぐ職場に戻った。派遣先の違う他の同僚たちには研修の終了が退勤を意味している中、僕の所属する店舗のグループだけが再出勤への歩みを進めていた。
いつもより勤務時間は縮んでるわけだし、と高を括ってたら慣れないスケジュールに気疲れが凝りとして顕在化した。鎖帷子みたいなだるさに包まれて、退勤へ向かう。
そうはいっても比較的早い退勤で自宅に向かう。
最寄りの駅に到着する少し前、セブンイレブンでしか出せないネプリのことと最寄り駅にはセブンイレブンがないこと、そして職場と駅の間にはセブンイレブンがあったこととをいっぺんに思い出してちょっと落ち込んだ。
時間もあったからネプリを出してしまいたくて歩いてセブンイレブンを通りがかる。
\ura vol.7 出ました/
— ura (@ura_tanka) January 17, 2025
お久しぶりのura出ました🎉
三年を経てそれぞれの個性がぎゅっと凝縮された作品になっています🚀
感想・引用もお待ちしています💫
◇セブンイレブン→68037718
◇両面印刷 1枚40円
◇1月23日23:59まで#短歌 pic.twitter.com/i18WHPOTI7
わざわざセブンイレブンを通りがかることの問題はバス停を通り過ぎてしまうことにある。わざわざ引き返して寒い中何分も待って割高なバス代280円を払うのは意味分かんな過ぎて、こっから40分意味わかんない寒さのなかを歩くのと比べても意味わかんないからバスに乗らずに歩いて帰ることにした。
節約もできて一石二鳥のつもりやったのに、最初ネプリを出したセブンでカレーパンを買ったり、歩いて帰ると決意したとき再びに傍にあったセブンイレブンでもあったかいお茶とおにぎりを買ったりと、とっくにバス代を飛び越えている。なんなんでしょうか、充足感だけはある。
買ったおにぎりを食べながら歩いて帰る時「おにぎりVS徒歩のカロリー消費」の気分になってしまった。歩きながらこのデカいおにぎりを食べて「腹が減ったら負け」な気がした。家に着くころには全然そのこと忘れてしまっていて勝敗はつけらんなくなったんやけど、その時は明確におにぎりで腹を満たすことを果たさなければ、そうしなければおにぎりに敗者の烙印を押してしまう、とまではいかない、でも全然そこまで行けるぐらいには濃い気持ちの影の端っこを踏んで、セブンイレブンの明るみから歩き出していた。
最初のネプリを出したセブンイレブンを出た時、原付が凄い勢いで駐輪場に入り損なっていた。運転していた大学生ぐらいの男は何食わぬ顔をしているとも思われたくないような顔で座り直してから、位置確認に夢中で疎かになっていたハンドルを握り直し、もったりと駐輪をやり直していた。
ネプリの印刷に入ったセブンでトイレも借りると、小便器の丁度横に水溜りがあった。誰かがそこに向けておしっこをしたのならば小さすぎるサイズだけど、外して一瞬かかったにしては大きすぎるサイズの水たまりだった。水がそこに少し溜まって円形であるというだけだった。水があったのか、何なのかも覚えていない、トイレの床があって、輪郭があった。水溜まりだと思ったのだから水らしい光の返し方をしていたのだろう。星と一緒で、眼球に届いて認識する頃には蒸発していなくなっている水たちがあって、僕に光を、くれてたんだろうね。
夜中ディスコードできゅうたん20号の企画の話をした、楽しいね。
1月18日(土)
くもり
朝、通勤のためにバスに乗る。何故か窓が一頻り開いており、顔面を冷や風に叩かれる。僕の手の届かない位置にあった窓を前の人が閉めたおかげでこの文章に着手できている。
一昨日ぐらいにむしゃくしゃして買った菓子パンの余りを朝飯にしたら丁度いいやと思っていたのに忘れている、残念🫤
仕事を終える。土曜はやっぱり残業である。
仕事がなかなか慣れない後輩が面談で「病欠って本当?病院行った?
一日くらい来れる日あったんじゃない?」とか「見込みで残業代もついてるんだし遅れもあるんだから残業するとか熱意は見せないの?」とか言われたらしくてやっぱり人当たり好かろうと終わってるやつは終わってると思いなおした。文面に書き起こしたら一旦モザイク掛けたほうがいいような台詞だ、なんなんだ其れ、なんで業務中の話すっ飛ばしてそんな話になってんだろうか、という話である。
「そんなことを言ってくる上司は終わってるのでガン無視でいい、ただ遅れはあるけん自分のペース見つけて頑張ろう」って返して終わらせた。業務中の進捗を管理して濃度上げて黙らせようくらいのこと言えばよかったかも、いや、やっぱり対抗するようなこと言って図に乗らしちゃいけないからガン無視はガン無視だな、んで文句言わせんようになれたら楽やねえと動機づけにでも使えたらいいかもな、、、それにしても終わってるやマジで。
まあ仕事のトピックはそんなもん。あとはちゃんとしゃべるのは初めてくらいの人としばらくお話しできたのでよかったな。
んで、帰ってからの時間の使い方に悩む。悩まない。って書いてて思ったけどマジで悩めてないかもな。かえってスマホいじって寝てるから,悩む以前に寝てるかも。今は日記と写真と映画と短歌と引越しの手配をやりたい僕だから、結構込み合っている。写真と映画は日記にぶち込むよう意識している。レビューもこの日記にのっけて、写真も日記に乗っければちょうどいいだろう。短歌を。もっと短歌を~(ブルエン)です。
目がかゆいのは寝不足のせいで、かゆいと少し温まっている気がしている。痒いということは、掻きたいという手の欲望の話であって必ずしもかきむしられる皮膚側の体感が一致しないだろうって思ったよ。おやすみ。
1月19日(日)
雲が少なくて朝日が眩しかった
起きたら8時!出勤に一時間かかるから今すぐに家を出ないと間に合わない!!心臓がすごい速度で起動する!!!眼球だけは無理が効かないから、ぺりぺりと無理開いた瞼から、水紋の様に歪んだ視界のまま洗面台に跳ねて行く。朝日に晒されて薄暗い部屋をドタバタと駆け抜けて、一旦歯ブラシを加えて寝癖の具合を一瞥。
社食の自販機でジュース当たった、中学の通学路の自販機で狙って以来だから10年越しの悲願だ。心拍数がゼロになった時みたいな音で当たりを知らされた時、世界がバグったんかと思った。
ずっとピーーーーーーーーーーーーーって自販機が泣いているから、慌てて、でも買ったやつとは別のジュースを買った。得するならでかいやつ選べばよかったのに120円のやつを選んでしまった。
写真も撮ってないから証明できない、なんか「6666」で揃ったことが不吉な気がしてプラマイマイくらいの気持ち、666が悪魔の数字ってのは聞いたことあるけどこっちだとどうなんだろう、とかモヤモヤもするし、でもなんか人生のスタンプラリーを一個埋められた様な気分だ。(ゲームのトロコンで例えようと思ったけど、それだとこの先100個当てるとかまで目標が延びそうで辞めた)なんとなくWekch'sは偶々社食にいたTさんにあげた。
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仕事終わり際、言うほどでもないもやもやがすごい溜まってしまって、今日が最終出社日の人にシュレッダーの使い方を教えるついでに愚痴る。表明することは問題を相対化してくれてとても楽だ~。とはいえめっちゃ疲れてまっすぐ帰りたくはなくてホルモン焼きの店に行く。インバウンド価格だったから大盛にしただけで3千円払った、泣き泣きの日曜かもしれない。
お休みと思う間もなく帰って肌着になってゴロついてたら寝てた。
おはよう
2週のまとめ
もう終わったのか、みたいな淋しさはあまりない。たぶん始まりがよくわかってないからだろうね。大学もそうだけどシフト制の仕事とかしてると一週間という区切りが全然体感できない。僕がいくら箱として時間を区切ったところでその時間の過ぎ去りに対抗できない。
僕が生きているのは主観として前に進むだけの時間だ。『TENET』はそこにすごくフィットするタイムパラドックス映画で、過去に進むとしても体感するのはきっと”逆行”ではなく”世界とは逆向きへの順行”だ。喩え突っ込みで使ったことしかない『ベンジャミンバトン』も観なくちゃいけんかもな。
だからなんというか「自分の活動にプリセットを用意してうまく召喚し続ける」ことで日々のルーティンにかかる負荷を下げるような態度が全然取れない。過去を引用するのがへたっぴだ。日記を読んでくれれば分かってくれる気もする。ぜひこれからも読んで。
まとめが一番読者を意識する。幸せになってほしいと思う。あなたの顔が見えてないうちにそう祈らせて欲しい。教会での懺悔が壁を隔てて行われていたように、無責任にあなたを赦したいよ。