何のために成長するのか
成長するということについて、段階があるのではないかと最近思う。大きく分けて2つ。
まず1個目。
自分が取り組んでいることで成功するために、もっと言うと、その先で自分が求める『幸せ』を実現するために、毎日毎秒、成長を追い求めてる。
これはみんなそう。全員そう。
甲子園めざして野球を練習したり、仕事で成果を出すために勉強したり、好きな人と付き合うために自分磨きをしたり。
どんな仕事してようが、学生であろうが主婦であろうが、潜在的に
『自己成長の先にしか成功はない。』
ということは理解していて、でも成功を手っ取り早く実現したくて成長を軽んじて、結果めちゃくちゃ時間がかかって、、、
みたいな人間臭いことを、同じようにみんなが繰り返してるんだと思う。
こういう意味での成長の追い求め方は、人生において経験したことない人はいないと思う。
そしてある程度のレベルで自己成長を遂げたら、自分自身がある程度満たされてきて、次は『誰かに貢献しよう』という思考の段階に入ってくる。
『家族のために』であったり、
『業界のために』であったり、
『恩師のために』であったり。
自己成長ということにしっかりと向き合った結果、ある程度のレベル感で自分が満たされると、このように『貢献』のフェーズに入る。誰かの力になることで自分自身の幸福度が上がっていく感覚が強くなる。
その感覚で動きだすと、今度は何を感じるのか。
それは、
『自分自身がもっと成長しなければならない。』
にまた帰ってくる。と最近思う。
これが2個目。
どれだけ周りの力になりたいとか価値提供したいと思っても、現時点での自分が出来る貢献にはやっぱり限界がある。自分の器以上のことはやりたくても出来ない。
背伸びしながらでは抱っこできないように。
例え合ってんか?これ笑
だからもっともっと周りに貢献できる自分、価値提供できる自分になりたいと思って、さらに自己成長に向き合うようになる。
こうなってからの『自己成長』への向き合い方は、前半で述べた1個目と何が違うんだろうか。
取り組んでる内容は1個目と2個目でさほど変わってない。文面で見ると違いなんて分からんかも。
でも明らかに違う。
感覚がまるで違う。
自転車とセスナぐらい。
成長のスピードもそこに対する自分のパワーも、間違いなく『2個目の成長』のほうが大きい。
きっとそれは思考が極限まで明確になってるからなんじゃないかと思ってる。
1個目はコップがまず満タンになるまで水を注ぐ作業で、
2個目はそのコップのサイズをデカくする作業だと思うから、たぶん単純な難易度は2個目のほうが高いはず。
だけど、
「コップに水入れたいねん。喉乾いてるから。」
の思考レベルと、
「コップもっとデカくしたいねん。今のコップでも足りひんことないけど、デカくしとかんと周りに水あげられへんから。」
の思考レベルとでは、
そのために自分には何が足りなくてどう行動するべきなのかという自己分析能力であったり、その成長に対する自分の熱量、そして単純な行動力など、全てが異なる。
後者の思考レベルは、このコップに関する一言で
目標だけでなく、そのさらに奥深くにこれからのビジョンやその人の大切にしている理念が存在していることが、言わずとも感じられる。
ここまで自分の土台がしっかりと出来て思考が明確になると、もはや失敗のしようがないんじゃないかと最近思う。
自分はいま何のために成長するのか。