アパート隣部屋のおばさまに願いの叶え方を教わる(2015年 46歳)
諸事情あって、当時2年間だけ1Kのアパートを「仕事場(と言う名の心の避難場所)」として借りていた。
折しも、人生の暗黒荒波に半ば沈没しながら、必死に舵取りをしていた頃である。
場所は、駅近の割に落ち着いた住宅街。3階建てで、1フロアが2世帯ずつとなっており、広さは4.5畳であった。
お隣さんは、おひとり暮らしのとっても快活なおばさま(70代前半)。
電車で20分弱かかる市外のトンカツ屋さんでフルタイムのパート勤めをされていたのだが、いつお会いしてもハツラツ元気!丸い笑顔に溢れたお方であった。
そして、何故か私が隣に入居したことをとても喜んで下さっていたのだった。
働き者でキレイ好きなおばさまは、お勤めの合間によく玄関扉を開け放っては、お部屋の掃除をされたり、外階段の踊り場にある洗濯機を元気にガランガランと回されたりしていた。
が、何しろ玄関前が狭いゆえ、おばさま宅の玄関扉が開いていると、向かい合っている私側の扉が開けられない。
なので、お姿が見えない時は「イナダです、閉めますよ~」とひと声かけて閉めさせてもらっていたのだが、時折声に気がつかれたおばさまが「ごめんなさいね~」と扉を閉めに出て来られる。
そんな時にちょっと立ち話をするのだった。
会話の回数が重なるにつれ、おばさまのこれまでの人生が徐々に見えてきた。
今までずっとフルタイムで働き続けてきたこと。1年前に大きな手術をしたにもかかわらず、その後も職場を変え、働き続けていること。
偶然にも、私の母と年齢が全く同じであること。けれど、心の持ち方はまるで異なり、ひとり明るく逞しく、今なお前を向いて生きておられることなどなど……。
それらはどれも短く語られた。
だが、理解するには十分だった。
何故なら、接しているだけで、おばさまの内側に輝く神聖さを感じられたから。清涼で高い波動のエネルギーが、衰弱した心に流れ込んでくるのが分かったからである。
私は、いつしかおばさまに敬愛の念を寄せていた。
そしてその想いは、ひっそりと、でも急速に深まっていったのである。
このように、わずかなコミュニケーションでもほんわかとした程よい距離感を保ちながら、1年半が経過した頃。
初めておばさまが私の部屋のインターホンを鳴らした。
『どうしたのだろう……?』
珍しい出来事に急いでドアを開けると、そこには嬉々としたお姿があった。しかも、口元がムズムズと何か言いたげである。
「あれ!?どうしました!?」
全く予想がつかず、ちょっと身構えながら尋ねると、開口一番におっしゃった。
「イナダさん!私、ようやく市営住宅が当選したの!だから、来月引っ越すんです!」
大興奮のままにおっしゃる笑顔は、いつにも増してまん丸ピッカピカ!抑えきれない喜びオーラに満ちていた。
「え!?そうなんですか!?おめでとうございます!」
反射的にお祝いの言葉を告げたものの、イマイチ事情が分かっていない私に、おばさまは追って詳細を説明された。
そしたら、はしゃぐのも当然。その流れは、とてつもない幸運だったのである。
申し込まれたのは、市営住宅は高齢者向けとのことだった。
抽選倍率は驚異の53倍。針の穴に極太ロープを通すような難関であるため、13年前から欠かすことなく申し込んでも一向に当選することはなく、半ば諦めていたらしい。
だが今回、ようやく願いが叶ったのだ!
「だからね、奇跡が起きたの!!」
胸の前で手を合わせ、飛び上がらんばかりに身を弾ませるおばさま。
私も嬉しくてたまらなかった。
だって、ここまでおひとりで本当に頑張って来られたのだ……。
「すごい、すごーい!良かったですね!おめでとうございます!」
パチパチと拍手をし、おばさまに負けず劣らずの笑顔を贈った。
それから数日後。玄関先でたまたまお会すると、今度は新居の内見報告をして下さった。
なんでも、このアパートよりも家賃は半分なのに2部屋あり、窓からは富士山も見えると言う。管理人さんも優しい方らしい。
「私ね、今までずっと富士山が見えるところに住みたくて、部屋に写真を貼っていたの。それが叶って、本当に嬉しい!!」
はしゃぐ笑顔に、『今まで頑張った甲斐がありましたね……』と感慨深く頷く私。
するとおばさまは、何故かそこでひと呼吸のんで静まり、急に神妙なトーンで続けられた。
「……実はね、今まで応募ハガキを出す時は毎回、『もし早急に入居する必要のある方がいたら、その方が入れますように』って願っていたの。……だから今回、私が当選して何だか申し訳ない気もするんだけど……きっと本当の順番が回ってきたんだと思っています」
……私はもうダメだった。どれだけ曇りのない精神をお持ちなのか!
息苦しいまでにギュッと締まる胸。目の際からは、大粒の涙がとめどなくコロコロ落ちた。
……いやでも、こんな喜ばしいお話で泣くべきではない。
口を一文字にしてグッと堪える。が、抑圧したことで、逆に胸はワナワナと震えて万感の思いがほとばしり、みるみる感情袋はパンパンに。
早々にバシュッと弾けると、みっともない程にヒックヒックと激しくしゃくり上げ始めてしまった。
「あらあら!どうしたの!?」
おばさまは激しくオロオロされた。
そりゃそうである。おばさまにとってさほど親密でもない隣人が、しかも吉報でこんなに大泣きするんだから。
『余計な心配をかけてはならぬ!』
一文字だった口は、弁明しようと小さく開いた。
けれど、全然言葉が出てこない。
「ヒックヒック……ヒグッ……」
ドバドバ流れる涙。苦しい呼吸。結局うんうんと頷くことしか出来ない私。
伝えたいことは山ほどあるのだ。
当選の感動と喜びはもとより、真に自立されたおばさまへの敬服の念。そのような方と出逢えた感激。そして今、こんなにも近くにいること。でも、その人は去ってしまう。そして自分自身の苦しい状況……。
どれもが強い思い。だからこそ、アウトプットの出口で団子状に渋滞を起こし、脳は混乱し続けた。
とは言え、心配をかけたくない気持ちが先だった私は、「本当に良かった……」と小さく言葉をふり絞り、涙まみれの笑顔でその日はお別れしたのだった。
後日。また立ち話をした際に、お引越しの日程を伺った。
しかし生憎その日は、仕事で終日外出。ここには来れそうになかったので、その旨をお伝えし、一旦お別れのご挨拶をした。
そして引っ越しの少し前、あらためて最後のご挨拶をしようと、おばさま宅のインターホンを鳴らしたがお留守だったため、手紙とハンカチ、そして自作の天然石ブレスレットを収めた封筒をドアポストにそっと落とした。
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引越しから数日後、ようやく仕事部屋を訪れた。
お隣はひっそりとして、元気に回っていた洗濯機も跡形もなく消えていた。
「ああ、本当にもう居ないんだ……」
しばし呆然と立ち尽くす。
虚ろな目でぼんやり鍵を開け中へ。そこで、ドアポストの隙間にピンク色の何かを見つける。
「おや?」
急いで取り出すと、小さな封筒。……おばさまからのお手紙であった。
はじめて拝見するおばさまの文字。
手紙へのお礼と、私の笑顔で気持ちが爽やかになり助けられたこと、出逢えて良かったということなどが綴られており、ご心配下さったのか、お名前の脇にはお電話番号までもが記載されていた。(実はこの時、初めて下のお名前を知った)
そして、最後には次のようなお言葉。
『努力を惜しむ事、なかれ、日々に感謝して。明日の幸せのために!』
おそらくこれが手紙の全てであろう……。
私の心は、再び万感の思いで大きく揺れ、寂しさと心細さで半べそになった。
……とその時、ふとモニター付インターホンが点滅しているのに気が付いた。
「誰か来たのかな……」
録画の履歴を確認すると、心配そうなおばさまの姿が数件……。
そう、引っ越しの当日、留守なのをご存知でありながら何度も訪れて下さっていたのだった。
「…………!」
私は手紙に再び目を落とし、大きく泣いた。
おばさまの奇跡は、決してただのラッキーなんかじゃなく、日々積み重ねた陰徳が満杯になってもたらされたものなのだ。
そのような貴重なことを、身をもって示して下さったのだ。
本当に、なんて美しい人生なのだろう……。
見つめる手紙に、あの丸い笑顔が重なった。
「今までお疲れさまでした。どうかお幸せに……」
私は心でそっとつぶやき、ますます元気一杯に豊かに人生を謳歌できるよう、切に祈った。
余談その1:おばさまに教わった具体的な幸運の掴み方
市営住宅当選のご報告をされた際、「とにかく、部屋は隅々まで徹底的にきれいにするといいわよ!」と、かなり強くアドバイスして下さった。
もちろん私は、しかと肝に銘じた。
……が、なかなか出来ていないのが現状である……(猛省)。
余談その2:仲良し知人女性との価値観の違いを知る
当時このアパートに、一度だけ「仲良しのお姉さん知人」を招待したことがあった。
私は早々に敬愛するおばさまの話をした。そしたら、こう驚愕された。「(そのご年齢で)この一部屋で暮らしているの!?」と。
まあ、往々にして伝えたいことが伝わらないことはある。
きっと上手に伝えられなかったのだろうし、その人物に接していなければ分からないことだってあるのだ。
ただ、こんなに仲が良くても、感じ取り方は大きく異なるのだという事がよく分かった。
そして、『私は目に見える状態がどうこうというより、その人の本質や生き方に目が行くんだ。その部分を尊敬できる人が好きなのだ』ということも。
価値観の異なる方との対話は、時に分かり合えない悲しさが生まれる。
しかし反面、自分を知るきっかけにもなったりする。
なーんてことを、しみじみ感じた一件であった。
余談その3:日常、何となく心の拠り所にしている方々とのお別れ
本文のおばさまのように、さほど親しくなくても、日々の生活の中で何となく心の拠り所にさせていただいている方々が、私には結構いる。
しかし、突然の別れも多い。
例えば、10年来の顔見知りで、唯一気軽にお話できた近所のおばさま。
お話するのは年に数回程度だったが、それでもおばさまの建前の無いサバサバとした親しみやすさが本当に大好きだった。
ところが先日(2022年春)、引っ越されてしまった。
旦那さまが定年退職を迎え、ご実家ある四国で暮らすことにしたのだそうだ。
こういったことが起こる度、私の足は何故か感覚を失い、圧倒的な空虚感に襲われる。
なんでこうも素敵な方々がどんどん居なくなってしまうのか……。
余談その4:余談その3のおばさまとの別れ、その後
近所のおばさまとの別離に関して唯一救いだったのは、お引越し当日にたまたま通りかかり、ご挨拶が出来たこと。(お引越しすることを知らなかったので、本当に偶然)
おばさまもご挨拶したいと思っていたと喜んで下さり、いつもよりゆっくりお話も出来たのだが、やっぱり私はウルウルしてしまった(すみません)。
で、なんと!
引っ越しから約1年後の2023年夏。突然おばさまからお葉書が届いた!
「苗字しか知らないはずなのに、どうして!?」
と驚きながら宛名面を見ると、郵便番号も住所も微妙に違う。
……恐らく、分からないなりに、ご自身の以前の住所から推測して、一か八かで投函されたのだろう。
そして、郵便局員さんも頑張って届けて下さったのだ(感謝感激!)。
お葉書には、最後に挨拶に来てくれて嬉しかったということと、もっとお話しておけば良かったということなどが書かれていた。
2023年12月31現在、今年一番の宝物である。