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私の想念を証明して下さったお坊さん(2014年 45歳)

実父が他界した、この年5月。
約7か月後に、旦那の母方の叔父さんもこの世を去った。

お通夜の連絡が来た時、もちろん旦那は即決で参列することになったが、私はかなり迷った。
一番の理由は、まだ喪中で気持ちの整理がついていなかったから。それに加えて、私にとって叔父さんは一度しかお会いしたことのない存在であり、義母が他界してからは更に遠い存在となっていたからである。

『どうしよう……』ぼんやり迷う。
しかし、何だかんだと旦那の支度を調えているうち、成り行き上、急遽私も参列することになったのだった。

斎場には、近場に住む旦那の家族(義父・義姉2人)と共に向かった。
到着すると、既に大勢の参列者。父の時の家族葬とは異なり大規模で、お焼香の大行列が出来ていた。

早速我々も義父を先頭に並び、しめやかにお焼香をあげさせていただく。
そしたらなんと、まるまる5人とも、そのまま「祭壇前の遺族・親族席」に通され、参列者の皆さんをお迎えすることに!

『え、帰れないの!?』
焦る私。……ま、まあ、確かに家系図的にはそうなるのだろう。でも、私はふさわしくない気がする。
現に、着席されている20名ほどの皆さんを見回しても、顔を見知っているのは数名だけ。やはり場違い感が甚だしい。
……いや、それは気にしなければ、何てことない。最も気がかりなのは、このままここに居続けることによって父の時のことを追想し、再び心が不安定になることだ。そんなカサブタを剥がすようなことに時間を費やしたくない。

『ああ、早く帰りたい……』
私は、この慣習的義務のしがらみを断ち切って、今すぐ斎場を飛び出して行きたかった。亡きおじさんだって、このような気分で居て欲しくないはずだ。
しかし、周りを窺えば窺うほど、押し込められてゆく気持ち……。本能はみるみるしぼみ、結局離脱を断念。腹を括った私は、とにかくこの場この時を乗り切れるよう、己を無にすることにのみ集中した。

そんな謎の修行に励みつつ、何とか大勢の参列者をお迎えし終えた頃。
お坊さんは読経を止め、厳かに遺族・親族席へと向き直られた。
そして、席の端の方にコピー用紙の束を手渡し、「各自一枚ずつ取って下さい」とおっしゃった。

『このような場で、お坊さんから配布されるなんて珍しいな……。何だろう?』
不思議に思いつつ、手元に渡り来たその紙を見てみると、【亡き人からの問いかけ】というタイトルがあった。
『………?』
まるで内容の予想がつかず、本文へと視線を動かす……と、ちょうどその時、皆に紙が行き渡ったのを確認したお坊さんがご挨拶をされ、「皆さんも一緒にご覧ください」と文を読み上げ始められたので、私も急いで目で追った。

最初は、何が何やら分からず漠然と読んだ。しかし、言わんとする主旨が見え始めた途端、全細胞が一斉にブルブルと震え始めた。
『こ、これは……!』
動揺を止めようと、思わずギュッと紙を握りしめ、こらえる。
ところが目からは、震えが止まらぬ細胞が振り絞ったかのような大粒の涙が勝手にボロボロしたたり落ち、紙の上でボトボトと大きな音を立てた。
私は堪らず天を仰ぎ、大きく息を吸った……。

文章には、まさに私の想念を代弁するような内容が書かれていた。
そう、父を亡くして間もなく感じた「想い」である。
と言っても、感傷的なものではない。「死の真の意味」についてである。

……実のところ、私の父は親としてあまり機能しておらず、死の間際まで許せないことが多々あった。
けれど、それでもその死から感じたのだ。
「亡くなったのがどんな人であろうと、死の衝撃は変わらない。そして、それが何よりも大きいからこそ、無意識にでも人の何かを変えるパワーを持っている。つまり死は、悲しさ以前に神聖なものであり、後に残された者へのエネルギーに満ちた愛の賜物なのだ!」
「……だから私は、尊い命と引き換えに与えられた貴重な学びを胸に、残りの人生を“本当の自分”で生きよう。悔いのないように!」
それが私にはとても重要に思えた。

そこで、偶然にも時を同じくしてご家族を亡くされた身近な人たちへ、お悔やみの言葉とともに次のようなことを伝えたのだ。
「人はいずれ死ぬという事実。それを現実として受け止めねばならない貴重な機会を与られたのだから、心で深く感じて学び取り、限りある時間の中で本当はどう生きたいのかに気づくこと。そして、実際その道を思いっきり生き抜くこと。それが残された者の使命であり、亡くなった人への真の敬意であり、供養なのではないか」

……しかし、伝え方もイマイチだったのだろう(※上記は意訳であり、実際は感情が乗っかりすぎて上手く言語化出来なかった自覚アリ。この文章もだが、こういった感覚的なことを伝えるのは難しいですね…)。残念ながら皆さんの心に届くことはなく、母にすら届かなかったので、分かり合えない寂しさを抱えることになった私は、だんだん伝えるのをやめてしまった。
……がそんな所へ、まさに今、思いがけずここでこうして証明されたのだ!

『ああ、やっぱり私の想いは間違っていなかったんだ!分かり合える人もいるんだ!』
形容しがたい感情はみるみる胸を埋め尽くし、魂は鳥肌を立てた。
あらためて呼び起こされる、父の命への感謝……。それらが混然一体となってパンパンになった瞬間、私の中で超爆発が起こり、毛穴から噴き出そうな勢いで、全細胞が声もなく絶叫した。
そして気づけば、激しく泣きじゃくり始めていたのである……。

呼吸はしゃくりあげる息で、どんどん苦しくなっていった。
反して、何故か心と体はどんどん軽くなっていった。
まるで暗い底なし沼から、大きな手ですくい上げられたかのように……。

私と面識のない遺族や親族の方々にとって、見知らぬ女の激しい泣きじゃくりは、さぞかし謎に映ったであろう。
しかも、こんなに大泣きしているのは私だけ。皆さん気もそぞろというご様子で、早くも紙を折りたたまれたり会話を始められたりと、感じ入る余地が無いように見受けられた。
でも、きっとそれは仕方のないことなのだ。ショックや憔悴、これからの事で感傷に浸っていられないお立場など、それぞれにご事情があるのだから……。

お坊さんのお話は依然続いていた。
しかし、その貴重なエネルギーは、十分に吸収されることなく行き場を失い、やがてモヤモヤと大きくなると、人々の頭上を空しく漂った。
……私の心に、また少し寂しさが戻った。

その後、我々5名は、通夜振る舞いで遺族6名と共に大テーブルを囲むこととなった。
涙ひとつ見せず、冷静に親族間の話(誰がどうだとか、こうだとかという話)をする皆さん。
最も縁遠い私はその話についていけず、テーブルの下座で依然ひとり泣きじゃくり、心の中でお坊さんに感謝申し上げた。
そして何より、遠いご縁ながらも、「死」を通してこのような奇跡的な経験を与えて下さった亡き叔父さんの利他的な施しに、魂の底から感謝し、一心にご冥福をお祈り申し上げた。

本当にありがとうございました。どうぞ安らかに……。


余談

いまだに後悔していること。それは、お坊さんやお寺のお名前を伺っておけばよかったということである。
と言うのも、いただいたプリントの文章をまるまる全部ご紹介したいのだが、今となってはどなたに許可を取ればよいのかも、どのようなクレジットをつければよいのかも分からないのだ。
なので、今回は割愛・要約・一部加筆してご紹介することにする。

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【亡き人の問いかけ】 
葬儀はともすれば『葬儀に落ち度がないように』『故人の冥福を祈る』という形式にばかり囚われて、葬儀本来の大切な意味が失われがちかもしれません。

葬儀とは、ひとりの人間の死という事実を、私たち一人一人が自分自身の問題として受け止めていくことです。
故人は自らの生と引き換えに『やがて死んでいく自分はどう生きていくのか』と我々に問いかけているにもかかわらず、その事に意識を向けられることは少ないのではないでしょうか。単に故人の冥福を祈ることで済ませてしまい、結局元の日常の雑事の中で地位や世間体に振り回され、かけがえのない命をすり減らし生きています。

冥福を祈るだけで過ごすとするならば、亡き人からの貴重な問いを無にすることであり、「自分のあり方を見つめなおす眼(まなこ)」を自ら塞いでしまっています。
亡き人からの問いかけをしっかり受け止めて、自分の人生に活かし生きることこそ、残された者の本当の務めなのではないでしょうか。

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今読み返しても胸に迫るこちらの文章。プリントの最期には、祖父江文宏さんの『願い』という題名の、やはり人の死の本質を詠んだ素晴らしい詩も掲載されている。
私はこのプリントをデータ保存し、更にコピーして無くさないように大切に保管している。