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生意気で若いという価値
まず初めに、人間は皆十分な価値があるということ。そして、何か他の要素を持っていたら自分の価値が優れていく、誰かよりも意味のあるものになっていく、なんてことはありません。ここでいう”価値”とは、他者から見て、価値を見出されるという意味ですので、その点を踏まえてご覧ください。
生意気さ
みなさんは生意気な人ってどんな人を思い浮かべるでしょうか?言葉遣いが少し荒っぽ人?態度が大きい人?どんな人でしょうか。
私は、まず思い浮かべるのは、年上年下関わりなく誰にでもタメ口でちょっかいをかける人です。「全然飲んでなくない〜?」みたいな一歩間違えば面倒なノリになりそうな一言を上司にもお構いなしに言えちゃう、みたいな、そんな人。
そういう人に対して、ネガティブな印象を持ったことはありません。単に、「おお…すごいな…」と側から眺めているタイプです。
でも、中にはやっぱり生意気な人間が気に食わないという人もいます。でも、この生意気さの話、単に好きな人と嫌いな人がいるっていうだけではないんです。
生意気な人間を嫌いだった人も、歳を重ねると好きになっていく可能性があるというのが、また面白いところなんですよね。
憎たらしい
ではまず、その生意気さが気に食わないという視点から書きたいのですが、このニュアンスと似ているのが、憎たらしいという言葉です。
これ、私は幼少期によく言われてたのですが、例えば、
「まあや、お菓子買ったろか?」
「ううん、お腹すいてないからいらん」
と答えた後に、
「あんたはほんま憎たらしい答え方するな〜」
みたいな。これ、関西以外でも言いますかね?
つまり、子どもらしくなくて可愛げがないってことです。
インスタで「愛嬌について研究しています」と共有してくださった方がいたのですが、まさにこの憎たらしさという表現の根底にも愛嬌という概念があると思っています。人が子どもと関わるとき、それぞれが子どもらしさというイメージが前提にあるので、そのイメージへの裏切りがあった場合、ネガティブな態度であるという認定をされるのだと思います。
裏切り行為
つまり、生意気であるということって一種の裏切り行為なのです。普通、年上には敬語で話す、こういう時は黙っているもの、そういう大多数の中にある共通認識とは違う態度を見た時、人は生意気だと感じることがあります。
ですから、生意気な人が苦手ない人というのは、今まで見たことがないとか、普通自分と関わる時はみんなこういう態度だとか、何か自分の経験や価値観に基づき、ネガティブに捉えるのだろうと思います。単に感覚的に好みではないという場合もありますが。
生意気だけど、可愛げがあるなとポジティブに捉える人はどういう原理なのだろうと考えてみると、この異質さが自分にはないものだから興味が湧いたり、リスペクトに値するという見方なのだろうなと思います。
私も、例えば目の前に生意気な年下がいたとして、「まあや、そんなんやから失敗するねんで〜」と何か説教されたとしましょう。面白く感じるんですよね、その光景が。だって、そんな経験味わったことがないですから。その説教が理にかなっていようが、いなかろうが、そんなことよりも、あー自分こんな年下に偉そうになんか言われてるんだけど、おもしろってなるわけです。
生意気さと若さ
そしていよいよ本題である生意気さと、若さという組み合わせの話。ここから何が生まれると思いますか?
愛おしさです。
可愛く可愛くて仕方がないと思えるような、愛おしさなんですよ。
モラルとかマナーとかそういうものが大事だという価値観はみなさん持っていると思いますが、それでもその型を笑顔でぶち破ってくる人間に出会うと面白いですよね。
自分ができないことであり、もしくはほんの少しこう生きられたらというような望みが心のどこかにあるから。
生意気さに若さが加わると、勢いが増すんですよね。そこに虜になっている人って多いのではないでしょうか。特にSNSで誰かのファンになるという心理とも似ているなと思います。
生意気である才能
そして、自分が歳を重ねていくと、より一層、生意気さという才能に気づく時があると思います。それは何故か、人生の中で一度も生意気な自分に出会ったことがない人の方が多いと思うからです。
言いたいことを我慢したり、自分よりも会社や目上の人を優先したり、それらが連続している人って多いと思うのです。これが悪いとかではなくね。ただそれだけ、人前で生意気でいるということには単なるキャラとかでは無理ということを実感すると思います。
人格的に生意気であるというのは、もはや才能なのだと。
特に、同年代で生意気な人間を見かけたときって捉え方が難しいと思います。自分的には、あんなでかい態度取れない、もっと真面目になろうって思っても、何故か生意気な人間の方が自信がありそうだったり、特定の人から可愛がられていたりすることもあるかもしれません。
こればっかりは、その人の人格なので何も気にしなくていいと思っています。人は好みがありますから、真面目な人が好きな人ももちろんいるし、自分が生意気になればもっと可愛がられる!みたいに、ないものねだりはしなくてもいいのです。
最後に
冒頭でも言いましたが、生意気だから特別に価値があるとか、若いから良いとかそういう話ではなく、一つの魅力の感じ方として、今日は話しました。
ちなみに、私は別に生意気な人間が近くにいるわけじゃありません。笑
ていうかもう28にもなれば、年下なんてみんな可愛いんですよ。生意気でも生意気でなくても。年齢とか役職とか自分自身は気にしたことがないけれど、そんなところはもしかすると、年上の方に生意気と昔は思われていたかもしれませんよね。
元々この話を書こうと思ったきっかけは、SNSでのアーティストや専門職の方の動画を見たことでした。やっぱりね、アーティストは尖っている、つまり生意気さのある人もいるし、専門職の方はその職を全うする自信からつい生意気な言葉が出るんですよね。
それらの動画を見ながら、うんうんやっぱりこういう言い方だとアンチもいるよな〜とコメント欄を見ていたときに、あることに気づきました。
それは、ファンの方々の雰囲気です。こう、なんというか固い絆で結ばれているみたいな、絶対的信頼、みたいな。笑
で、考察をしていると、やっぱりみなさん「何をしてても可愛い」みたいな魅力を感じているなあって思ったんですよね。かっこいいとか可愛いとかビジュアルを褒めるのではなく、「さすがです」となる神格的な崇拝が生まれるのは、生意気さの勢いかもしれないなあって思ったわけです。
この話は、本当になんとなく頭の中で思っていたことなので、インスタに載せてみて反応が多かったことにとてもびっくりしました。
そして、こうして日常的な問いや考えをじっくり考えるみんなに出会えたこと改めて有難いな、嬉しいなという気持ちです。
いつもありがとうございます。
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p.s 最近朝の5時に寝てたので今日は絶対1時までに寝ます!