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このままの私で大丈夫。
「ねぇ、なんでいつも学校休んでるの?そんなに休んでいいの?そんな簡単に学校休ませてくれないよ、うちのママは。」
次男の同級生、小学1年生の女の子が正義感たっぷりに、真っ直ぐに疑問を投げかけた。
不登校の次男が久々に登校すると言い出し、付き添いながら昇降口に向かって校庭を歩いていた朝の出来事だった。
息子は黙り込んで固まっていた。
私は「そっかー」とか「うーん」とか「えーっ」とか、適当に相槌を打ちながら聞いていた。
昇降口のところから動かなくなった息子を見て、今日はここまでかな、と思い息子に確認すると「帰る」と言ったので、その女の子には私から「バイバーイ」と告げて校庭に引き返した。
息子は下を向いたまま。
女の子は、無邪気に「えっ、もう帰っちゃうの?いいなー!」と言っていた。
前を歩く息子の後ろ姿に向かって、「今日、学校来れたね!頑張ったね!」と声を掛けた。
すると、息子は振り返って「ちょっとずつ、頑張ればいいよね!」と言った。
そして、ハイタッチを求めるように手を挙げたので、その手に笑顔でタッチした。
もっと落ち込んでいるのではと心配していたが、少しほっとした。
学校に来れた達成感がちょっぴりと、これから家に帰れる絶大な安心感があってのハイタッチだったのかなぁと、息子の様子を見ていて感じた。
私の方はというと、帰宅してからも、悶々とした気持ちのまま過ごした。
あの、女の子とのやりとりを引きずっていた。
なんて情けないんだろう。
ヘラヘラしている自分が嫌だった。
毅然とした態度で振る舞いたかった。
何か"良いこと"を言いたかったけど、何を言えば良いのか分からなくて、逃げる自分を情けなく思った。
息子の為に、何と言ってあげるのが正解だったのだろうか。
そんなことを悶々と考えていると、自分の幼少期の思い出とリンクした。
団地に住んでいた。幼稚園児の私。
アパートが立ち並ぶ団地内の道をひとりで歩いていると、道を「通せんぼ」してくる3人組の男の子がいた。
今思えば、何か道を通したくない理由があったのかもしれないが、その時の私にはそんな発想は無く「あ、私のことが嫌いだから通せんぼしてるんだ」と察知して、逃げるように引き返した。
それからは、その3人組を見かけると怖くなって、避けるようになった。
本当は、この道をまっすぐ進んで公園に行きたいのに。
あの子たちがいると怖くてそこを通れない。
怖気付いて引き返す自分を、惨めで情けなく思った。
本当は、堂々と道を歩きたかった。
もし、嫌なことを言われたら、大声で「やめて!」と叫べる自分になりたかった。
幼少期の私は、明るくて、自己主張のできる活発な女の子に憧れていた。
そして、その真逆の自分を恥ずかしく思っていた。
大人しくて、内気な自分。
こんな私は、自己主張なんてできない。
こんな私は、魅力なんて無くて、誰も友達になりたいなんて思ってくれないだろう。
その思いは変わることなく私の身体全部に張り付いて、大人になった。
あの朝の、女の子の言葉に傷ついたのは私だった。
「私のママは、そんな簡単に休ませてくれないよ」
その言葉の裏を、自分を責める言葉で受け取ったのは、私だ。
私は簡単に学校を休ませてしまったの?休ませていたことで、息子は今、辛い言葉を浴びてまた学校を遠ざけてしまっている。私の判断は間違っていたのかな?
そんな考えが、私に襲いかかってきていたのだった。
その思考に気付いたとき、気持ちの整理ができた。
だったら、大丈夫。
私は、息子の様子をよーく見て、たくさん、たくさん、考えて、悩んで、話し合って、それで学校を休ませていたんだから。
"簡単に"休ませてなんかいないよ。
そう思えたら、負の感情は消えていった。
そして、私は大丈夫だって気持ちが湧いてきた。
息子を守ってやる言葉を言えない自分を、なんて情けない母親なんだと不甲斐なく思ったけれど。
私の振る舞いはあながち間違っていなかったのかも知れない、と思えた。
息子のハイタッチに、きっと嘘は無かったと思うから。
これが、私。このままの私で、大丈夫。