9月4日
note投稿150日チャレンジ、113日目。
何かをしないと認められない、受け入れられないという怖れ。
期待に応える。
欲求を叶える。
課題を解決する。
根底にそうした考えがあることで、
その為に何かの能力を身につけたり、努力をすることが義務になってくる。
インサイトを見つめていくと、そうした声が聞こえてきた。
とてもパーソナルな部分であって、
なぜ、そうした考えになってきたのか、
そこまではここでは書くことはしないけど、
その「怖れ」の感情を見つけられたことは、
今日の大きな発見だったように思う。
必ず、
期待に応えなくてもイイし、
欲求を叶えることをしなくてもイイし、
課題を解決できいなくてもイイ。
そうした緩い自分も認めて受け入れてあげられるようになってきたのは
周りから教えてもらった気がしている。
2年前、それこそとんでもなく辛い日を過ごしていた時に
仲間が食事に誘ってくれた。
特に会話もなく、皆とただご飯を食べているだけで
とても申し訳ない気分になっていた。
何か面白い話題でも出来れば良かったのだろうけど、そんな余裕は全くなかった。
それでも、ただ作ってくれたご飯が美味しくて、
美味しいねと言っては、黙々と食べていたら涙が出てきた。
こうした自分の状態でも、一緒にご飯を食べてくれることに感謝の気持ちが溢れてしまった。
励ますとか、悩みを聞くでもなく、いつも通りに接してくれた時間が嬉しかった。
べつに最善、最高な状態でいなくても、居てくれる人はいるのだ。
期待に応えなくても、
欲求を叶えなくても、
課題を解決しなくても、
一緒に居てくれる人を選べばいいのだ。