幸福は結果ではない。プロセスである。
note投稿60日チャレンジ、33日目。
幸福は「結果」ではない。「プロセス(過程)」である。
この一文は、今読んでいる「精神科医が見つけた 3つの幸福」に書かれていた言葉だ。
簡単ではあるが意図を説明すると、こういうことだ。
著者の精神科医、樺沢紫苑さんが多くの患者さんの診察を通して話を聴いたり、脳科学を学んで幸せについて研究した結果、
脳科学的な幸福論だと「幸せは結果だ」という考え方を否定している。
人が幸せを感じるといわれている脳内物質は主に3つに分類されている。
「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」
「ドーパミン」は、大きな目標を達成した時や、成功した時、承認を得た時などに大量に分泌される物質で、その時は幸福感を得られるけれど、永続的ではないといわれている。
一方、「オキシトシン」は対人関係でのやすらぎや癒やし、感謝する事によって得られる幸福感で、
「セロトニン」は、主に心と身体の健康によって大きく得られる幸福感だという。
この「オキシトシン的な幸福」と「セロトニン的な幸福」の二つは、常に身近にあるもの。
今この瞬間を良好にしていく意志があれば、幸福感を得られるものだ。
コロナ禍で自粛生活が続いていた時、日々の生活から小さな幸せを見つけたというのは、脳科学的に理にかなっていたのだ。
日々の生活の過程(プロセス)から生まれる「オキシトシン的な幸福」と「セロトニン的な幸福」を大切にする事は、
結果で分泌される「ドーパミン的な幸福」よりも逓減しづらいという。
だから、幸福は「結果」よりも「プロセス」だという。
とてもロジカルな指摘で、納得して本を読み進めている。
ちなみに本書では、「ドーパミン的幸福」と「オキシトシン的幸福」または「セロトニン的幸福」のかけ算が理想だとも書いてあった。
幸せにについて、とても分かりやすく構造的に説明してあり、実用的な解説をしているので、興味のある方はオススメです。ぜひ。
そりゃ幸せになりたいよね
「私はなんで生きてるのかな?」と考えた時、
「そりゃ、幸せになる為に生きてる」と思うし、
その為に、あれこれを手を出しては七転八倒している気がする。
しかし、ふと過去を振り返ってみると
「あれは幸せだったのかな」と思う事、ありませんか?
私はある。
2年前から、真剣に私にとっての幸せとは何だろうかと考えはじめた。
本を読んだり、友人の勧めてくれた映画を観て、幸せとは何かという問いに向き合っている。
そして今日、この言葉と出会ったことで、深く納得できた。
私にとっての幸せはプロセスだと解釈できた。
そう思った背景は、私とは切っても切れない「演劇体験」と関係している。
演劇体験からプロセスを学んでいた
4歳から15歳まで、情操教育として児童劇団に所属していた。子役として演技を学んでいた。
当時は、学ぶといった感覚は全くなかったが、毎週末の演技レッスン、オーディション対策の受け答え対策、日本舞踊、半年に一回のスチール撮影など、今考えても面白い事を子ども時代に体験させてもらっていた。
そして、ドラマやCM、ミュージカル、映画などのオーディションや、撮影現場でクリエイティブな大人達に囲まれ、とても可愛がっていただいた。
毎週のレッスンで練習してきたことを元にオーディションで披露し、ご縁があれば撮影現場で練習した成果を発表する。
オーディションに合格する、メディアに出演する目的を持ってやっていた感覚はあまりない。ただ、目の前に訪れる機会をそれなりに一生懸命に過ごしていた。
こうした一連の面白いプロセスを、幼少の頃から体験させてもらった事が、現在の私に大きく影響を与えている。
大人になっても、私はさまざまな「プロセス」を楽しんでいると実感する。愚痴をこぼすときもあるし、泣き言を言いつつもだ。
今、取り組んでいる事が、いつかは人前でやる事になる。
楽しみながらも緊張感と集中力を持って取り組んでいるのは、
もしかしたら子役の経験で得たプロセスから身についたことかもしれない。
昔から目的を明確にしてから頑張る事が苦手だった。今を全力でやり切って楽しもうとしていたタイプだ。目的から外れたり、偶然な出来事や出会いも含めて。
日々の習慣事にも同じように当てはまる。
目標で達成したい事は、それほど具体的ではなかったりする。
事前に考えたり、設計もするが、日々の習慣に楽しみの比重をおいているので、目標を達成した時の喜びは、想像している以上に低めで冷めている。
プロセス思考と幸せについて。
また、次の機会に掘り下げてみよう。
【今日の #まートレ】
ストレッチ
アイソレーション
重心移動
ウェーブ練
フルスクワット×80
プランク(ノーマル、肩甲骨、スパイダー)3分
ピンチャ1分
空気に絵を描け