吐露

note投稿150日チャレンジ、142日目。

内省ぐせがついたことで、自分の感情の背景を考えるようになった。
その中で今日、友人から指摘されたのは「怒り」の感情だった。

わたしは「怒り」を、表現できていないことに、薄々と気づいていた。
ただ、分かる人には私が怒っている事は分かるようなので、
怒っているように見えたのかもしれないなと思った。
ただ、自分がどういう点で怒りが表出しているかは正直分からない。

今日気づかせてくれたのは、それらの怒りの感情は、
私が大切にしたいことに対しての反応であるということだ。

表出できない怒りや、向き合っていない怒りの感情は
私が大切にしたいことや、大切にしたい価値が何かを教えてくれている。
それは、何か大切にしたいと思っていることが、
失われる、壊される、脅かされそうになったことへの反応になっている。
そこに向き合うのは、かなりのハードモードではあるのだけど、
避けられないことでもありそうだと思い、時間をかけて認めていくことになる。

怒っていること、そのものを伝えるのではない。
怒りの背景にある、私が大切にしたいことと、どうしてほしいかを
相手に伝わるように伝えていくことが大事だと指摘を受けた。

全くその通りだ。頭では理解できたが、身体には落とし込めない。

共感性が低くて、他者を思いやるとか、寄りそうとか、
そういうことが全く出来ない人もいる。

そうした中でも、感情先行で伝えることを抑えて、
感情の背景にある、私が大切にしていることを言葉にして伝えることが
大事であるし、一番難しいと痛感させられた。

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