【美術評】 ダグ・エイケン『 i am in you』金沢21世紀美術館
ダグ・エイケン『i am in you』(2000年)
中央に1つ、周辺に4つのスクリーンで構成された映像インスタレーションである。
アメリカ郊外の日常的な風景が映し出されている。タイトル『 i am in you』は英語的に日常的な表現なのか、それとも詩のような表現なのか、わたしの英語知識では判然としない。
「わたしはいる、あなたの中に」
わたしという存在はあなたの中に本当に在るのだろうか。そして、在るとすればどのように在るのだろうか。物語の登場人物は少女のみ。そのほかは列車のように長いトラック、航空機、そして光線により立体化された幾何学的な構成物。物語の輪郭も明確でないまま、イメージは断片化され反復される。わたしたち観客は捉え所のないイメージの渦中で、不思議な脈動に捕らえられた身体を感じる。そこには存在の明証性も物語の連続性とも無縁な、かといって異和でもない、速度の身体性、流動する身体の存在を感じる。わたしたちは明証性や連続性に信をおいているのだが、それは、わたしたちの思い過ごしなのかもしれない。時間を断片化し、そして反復することで世界を挑発し抽象化させ、その結果、豊かなイメージで世界は満たされることになるのだと『 i am in you』は気づかせる。
本作は映像としてのイメージだけではない。イメージに重なる少女の囁きと手拍子の作り出すリズム。少女が打つ軽快な手拍子、そして少女と他者のタッチによる手拍子の作り出す遊戯的なリズム。手拍子という身体性が自己と他者の存在を際立たせ、そこには存在の明確な輪郭が立ち現れた。わたしは展示室の、外部から閉ざされた闇空間の中で……そこには空間としての広がりや時間という感覚はあっただろうか……不思議な感覚に囚われた。
ダグ・エイケンは金沢21世紀美術館の通路に展示されている19分の別な映像作品で次のように述べる。
「世界は変化し続ける壮大な万華鏡だと思う。言葉や脈動、移り変わるイメージ。その方が、連続性のある物語より伝わる。私たち自身を挑発する樋を投げかけるのが許された場所、抽象化する場があってこその社会なのでは?時の流れを変え、物事の経過を速めたり遅らせたりできる。時間の処理が私達の認識を変え、その瞬間に留まるようにしてくれる」
不安な世界情勢という未来が読めない世界で、物語は連続性も明確な焦点も失っている。それだからこそ、万華鏡のように変幻するイメージをわたしたちは自らの内部に生成させ、わたしたち自身を挑発し続けなければならないように思えた。
(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)