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【映画評】 加納土監督『沈没家族 劇場版』

(見出し画像:加納土監督『沈没家族 劇場版』)

ボク(加納土監督)が1歳だった1995年、当時23歳だったシングルマザーである母・穂子が、「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」の考えの元、共同で子育てをしてくれる「保育人」募集のビラを撒いたことから始まったのが「沈没家族」である。「沈没」の名は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したことに母・穂子が腹を立て命名したとのことだ。

加納土監督によれば、「ボクが育った沈没家族とは何だったのか」を検証すること。そのために、「当時の保育人たちや一緒に生活した人を辿り」、「母の想い」と「不在だった父の姿」を追いかけることで、「家族の“カタチ”」を見つめ直すことが必要だったという。それが『沈没家族 劇場版』(2019)として、とりあえずの結実をみたのだ。

1995年は、日本社会を決定づける大きな事件が発生した年である。
『沈没家族』と少し離れた私事になるが、1995年の夏、私はひと月ほどフランスに滞在することになった。駅のキオスクに立ち寄り新聞を眺めていたら、月に一度発行される〈ル・モンド・ディプロマティック〉があり、《Le Japon en panne》という見出しが目にとまった。“壊れる日本”とでも訳せばいいのだろうか。「歴史ある日本で、何かが腐りはじめている」、と書かれていた。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、円高等の異変のことである。

この記事から読みとれるのは、表層的な現象にとどまらず、日本社会内部が変質し始めているということである。自然災害にとどまらず、経済の衰退、そして人々の精神にまで異変が生じ始めているということだ。

「何かが腐り始めている」とは衝撃的な表現である。現在の日本社会における民主主義の衰退や人々の過去の歴史を顧みない排外的指向に、フランスの新聞はいまから30年程前に、「腐りはじめている」と警鐘を鳴らしていたのだ。

その年に、監督であるボクの母・穂子は共同保育という新たな試みを始めた。

私は本作を見るまで、この試みのことを知らなかった。穂子の思考が、遠く離れた〈ル・モンド・ディプロマティック〉の警鐘と不意に共振したかのような現象に、私の1995年の夏の記憶が蘇った。

大きな社会的事件を契機に、社会は新たな方向へと向かう。

2011年3月11日の大震災・津波発生以降の日本社会にも市民レベルにおいても変革はあった。それは、私の生活の周辺でも起きた。たとえば、労働と賃金の関係。私たちは労働を賃金として貨幣に交換するのだが、3.11を契機に、この交換関係に変化が見られるようになった。つまり、貨幣でないものとの交換という新しい労働の摸索がはじまったのだ。そして、シェア概念の拡張、生活の組み替え…etc。そこには、既得権益とは遠いところにある、既成の枠を超えた、借り物でない独自な思考が発生していた。

『沈没家族』の共同保育をシェア保育と考えることはできないだろうか。つまりシェア概念の拡張。

3.11後に起きたムーブメントで述べれば、シェアハウスの拡張がある。シェアハウスといえば、一軒の家を共同で借りシェアするというのが一般的だと思うのだが、3.11以降はそれとは少し違っていた。家をシェア人たちが共用できる部屋・共同スペースを、外部の人たちにも開放し、〈内/外〉という境界を曖昧にするという試み。もちろん外部の人がいつでも出入りできるというのではない。会合の場として開放したり、トークの場として不特定多数の者を呼び込んだりと、共同スペースを、他者を自己へ意識的に介入させる装置として利用するのである。いわば、共同スペースの公民館化を意識的に行うのだ。そうすることにより、世代や性差を越えた、関係の広がりと強度が生まれる。従来のクローズド・シェアハウスから、オープン・シェアハウスへの変化だ。そこには思考や社会行動のシェアという新しい社会の“カタチ”の創出があるという考えだ。

これを、より大きな社会的事象に拡張するならば、組合、政党、組織となる。だが、そのような既得権益と不可分である存在から自己を離脱し、いかにすれば“私有/共有” “不入/介入” “有縁/無縁”という対立項を克服できるのか、その試みでもあった。

シェアハウスにしてもシェア保育にしても、それは資本主義的な意味での所有という形態ではない。シェア保育は、複数者による相互所有(つまり複数者による子どもの所有)のようにも思えるのだが、そういう形態でもない。所有とは、主従関係、あるいは1:1の関係であり、第三者の介入を許さない形態のことであるからだ。

だから、「沈没家族」に集まった大人たちは刺激的であり示唆に富んでいる。日本社会が保守(たとえば国家の所有としての国民概念)に移りゆく現在だからこそ、1995年の“カタチ”を見つめ直す意味がある。加納土監督は、そのことに、真摯に向き合ったのだ。

映画とは大きく外れた文になってしまったが、映画を見ながら、1995年の日本社会、そして3.11後の日本社会を再考することになったのである。

(映画遊歩者:衣川正和 🌱kinugawa)

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