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《映画日記6》 五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル作品、ほか

本エッセイは
《映画日記5》アンゲラ・シャーネレク、ストローブ=ユイレ作品、ほか

の続編です。

わたしにとり、映画という形式は暴力装置である。始まりがあり、終わりがあり、映画を見るわたしは、その時間に介入することはできない。なぜなら、介入とは映画の時間の切断であり、映画を見るわたしが切断をしたことで、それは映画ではなくなる。“始まり/終わり”がアプリオリにある時間の連続体が映画である。それに抵抗することは許されないし、抵抗は反逆者すら作り出せない、ただ単に映画の外部へと追いやられるシステム、それが映画であるからだ。その意味で、映画の形式は暴力装置である。

このエッセイはわたしがつけている『映画日記』からの抜粋です。日記には日付が不可欠ですが、ここでは省略しました。ただし、ほぼ時系列で掲載しました。論考として既発表、または発表予定の監督作品については割愛しました。


五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル『泳ぎすぎた夜 』(2017)

夜が明けぬ前の台所でタバコをふかす父親。なぜかその物音に目を覚ました6歳の息子。父親が漁業市場へと出掛けて行った後、クレヨンで魚の絵を描く息子。彼は家族と朝食をとり学校に出かけるが、書いた絵を父親に渡そうと思ったのか、学校へは向かわず、雪に埋もれた道をとぼとぼと、父親が働く漁業市場へと歩き始める。ちっぽけなことでありながら少年にとっての、新しい冒険の始まりである。
弘前の美しい冬の原風景と一人の少年の冒険譚。叙情あふれる詩的情景であると同時に、少年を見つづけるひかえめな眼差しのキャメラと少年が捉えた弘前の光景、そして静かに流れる一日。まるでドキュメンタリーであるかのごとく撮った作品を、わたしは見てしまった。
本作にも犬が登場する。それは五十嵐耕平監督の前作『息を殺して』を想起させるが、ここでの犬は、前作に見る物語の震えるようなサスペンスとしてではなく、家族に還元される柔らかな存在としてある。それは、五十嵐耕平というより、共同監督であるマニヴェルの作品世界に近い。マニヴェルの作品にも犬が重要な役割を果たしている。
フランスのダミアン・マニヴェルとの共同作品だが、五十嵐耕平監督単独作品としても見たかった。
海外の新聞をググっていたら、フランスの新聞 Libération(リベラシオン)のweb版に本作の批評が載っていた。残念ながらマニヴェル監督にフィーカスした文となっている。
以下、記事の拙訳です。わたしのフランス語は趣味のフランス語であり、誤訳の可能性もあることから、参考程度にとどめてください。予め弁解(言い訳)しておきます。

人目に触れないかもしれないささやかな映画。手法においては小さく見えるが、確かさと情動は大きい。マニヴェルが失われた映画の最後の開拓者でいるとしたら?これほどまでにシンプルで素朴な作品がいまだ存在することは稀である。ダミアン・マニヴェルの前作『Le parc』(2016)…を見たことの幸運は、気象衛星SMSから送られてくる夜更けの幻影的な静止映像を思い起こさせる。特殊な効果と夢幻のような手法、いたるところを映像で捉えている。途方もない脚本、登場人物たちの出会いという時間、それは映画の純粋さをもたらす。マニヴェルは削ぎ落とすことで前進しようとしている。
本作には珠玉の、つましく儚い作品を撮った共同監督がいる。マニヴェルがロカルノ映画祭で出会った新進の監督、五十嵐耕平である。共同製作者となるべくふたりは信頼しあい、アイデアを交換し、盃を交わし、やがて映画を製作するべく、対挑戦者か、もしくは冗談を言い合う者のように彼らは映画論議をする。
撮影は日本で行われた。五十嵐はひとりの子供を撮り、マニヴェルは雪をフィルムに収める。さあ、スタートだ!
本作での二人の脇役。二人は本プロジェクトに登場する家族を探しに北日本に赴いた。キャスティングのやり方は素朴である。出演者たちを知り、主役の子どもを手なづけ、一緒に生活すること。数週間後、小川家の人たちが出演を了解してくれる。主役を演じるのは6歳の鳳羅。マニヴェル『Le parc』での登場人物は3人だったが、本作では鳳羅ひとりだ…ほんの僅かだが家族も登場するが。それだけで充分だ。(注:二人の脇役とはマニヴェルと五十嵐のことなのだろうか。とすれば、批評氏は彼らを映画の名脇役と捉えていて面白い。)
撮影は始まる。二人の監督は台詞を書いていない、ただその場でシーンを見つめるだけで、始まりは流れるままにまかせる。この手法の明晰さがやがて明白になる。なにゆえ、台詞もオフの声もなくて構わないのか?
雪と6歳の少年鳳羅の1時間19分がすべてを語る。鳳羅は父親に見せようと絵を描く。映画冒頭は父親の一日の始まりである明け前のシーンだ。彼は魚市場で働いている。なにも恐れるものはなく、気の向くまま、鳳羅のシーンは始まる。少年は目の前のものに向かって果敢に進む。父の職場へたどり着く過程も素朴。父に見せるべく描いた絵をランドセルに入れる。思わぬ出来事が降りかかる。途上の不測の出来事、それは実際に起きたことだ。たとえば鳳羅の眠り、それは脚本にはない。撮影中、少年は定期的に眠るため、物語はこのような日常の些細な事柄を盛り込んだ。少年の行動は物語を生み出すのではなく、目の前のことを臭覚のように感じるのだ。
いくぶん難解な作品を想像するかもしれないが、本作のシーンは軽やかで、詩的で、とても柔らかだ。両監督は各シーンを固定カメラでシスティマティックに撮る。このストレートなアプローチとドキュメンタリー的な手法が功を奏する。だが、時間が流れていることにまったく気づかない。最後のシーンは幻惑的で少年の冒険譚であると理解できる。本作はベニス国際映画祭に出品し、賞賛された。様々な会場で上映されマニヴェルを世に広めなければならない。なぜなら、彼は自由を標榜する映画思想の最後の守護者であり、36歳までに3作品を製作し、現代的な確固たる思考の体現者であるからだ。

(1/mars/2018 Libération web)

(注)Libération(リベラシオン)の記事にあるマニヴェルの3作品:短編を含めると『犬を連れた女』16分(2011)、『若き詩人』(2014)、『日曜日の朝』20分(2012)、『パーク』(2016)

(ダミアン・マニヴェルと五十嵐耕平)

『泳ぎすぎた夜』の次回作『イサドラの子供たち』(2019)の批評がお読みいただけます


ラベー・ドスキー『ラジオ・コバニ(Radio Kobani)」(2016)

冒頭の映像が印象的。廃墟となったコバニの俯瞰映像。ドローンから撮った映像なのだろうか、ゆるやかにコバニの廃墟を捉える。建造物の躯体は白い石なのかコンクリなのか、上空から捉えた映像では判断できないが、まるで白く炭化したかのように見えるコバニの街は、火葬場で焼かれ白骨となった死者を見ているような気がする。アラブ諸国で始まった民主化運動が2011年春以降シリアにも飛び火し、その後に続くシリア内戦を描いた作品オサーマ・モハンメド&ウィアーム・シマブ・ベルデカーン『シリア・モナムール』(2014)でも白く炭化した上空からの都市の映像を見たが、兵器のハイテク化が進んだ近代戦争とは、有機物の気配を消滅させた都市の死のことのように思え不気味である。
コバニの街の時間は停止している。死の街、白骨の瓦礫となった街。だが、そんな街にも、未来へと向かおうとする強靭な精神を持った人々の生活がある。その生活者のひとりが20歳の女子大生ディロバンだ。さて、先に進む前に、コバニについて寄り道をしながら、ディロバンの未来へと向かう生活について記してみたい。
2011年から始まったシリア内戦中、トルコとの国境に近いシリア北部のクルド人街コバニは2014年9月から過激派組織イスラーム国(IS)の占領下となった。その戦況化において、シリア全体で約20万人のクルド人が移動を余儀なくされ、多くがトルコへ越境した。その半年後の2015年1月、クルド人民防衛隊(YPG)による激しい迎撃と連合軍の空爆支援により、YPGはクルド人の街を奪還。いわゆるコバニ包囲戦である。内戦でシリアが混乱に陥ると、国外脱出などでシリアの人口は大きく減少したが、コバニではYPGが都市を守り固めてきたものの、周囲はISによって包囲され、住民はどこにも逃げられない状態が続いたとも言われている。そして、2015年1月の開放である。この前提で、女子大生ディロバンが見たコバニの街とコバニに住む生活者を語ることが重要である。2015年1月に解放されたコバニ。人々はコバニに戻って来たが、数ヶ月にわたる戦闘で街の大半が瓦礫と化してしまっている。彼女はマイクに向かい、廃墟となった街に住む人たちに語りかける。語りが救済へとつながる、ディロバンはそう信じている。彼女と友人はラジオ局「おはようコバニ」を立ち上げ、放送を始める。ひとりの女性から見たコバニの街と人々の生活。生き残った人々、元戦士などに彼女は声を届ける。そして街を再建して未来を築こうとする人々に希望と連帯を届ける。ディロバンは語る。「未来の我が子へ。戦争に勝者などいない。どちらも敗者だ」と。「いつか生まれてくるであろうわが子」、そして「コバニで何が起きたか知りたいすべての子どもたち」に向けて、彼女は、彼女が見たものを語り続け、届ける。そうなのだ。この作品は、死者と廃墟の戦争映画なのではない。死と生。これから生まれるであろう未来の命への希望のメッセージである。これが本作のすべてと言ってもいいだろう。
世界史におけるクルド人の特殊な位置。パレスチナ人と同じく流浪の民でもあるのだが、日本でもパレスチナ人ほど認知されてはいないし、差別を受けている。世界各地に散らばりながら、自治性を削がれた存在としてある。大学生ディロンがコバニの人々とまだ見ぬ未来の子どもに語る自由ラジオ。ISから解放されたコバニの街とディロンの結婚。これら未来を手放さない連続の時制が、やがて救済となることを希望したい。
短編映画『スナイパー・オブ・コバニ』(2015)が札幌短編国際映画祭(2016)の最優秀賞ドキュメンタリー賞を受賞している。

(ラベー・ドスキー『ラジオ・コバニ』、ディロバン(右))


フランセスカ・ヨペス(Francesca Llopis)映像作品集上映会

上映された作品はいわゆる実験映画だから、物語としての映画とは異なる。その違いを前提としたうえで、ショットについて考えることがあった。
彼女の映像作品はビデオ・インスタレーション形式が通常である。だが、会場であるルーメン・ギャラリーでは映画館と同じ、椅子に腰掛け、スクリーンを見るという形式で上映されており、作品群は、〈映画館/インスタレーション〉形式、どちらの形式を前提に製作されたのだろうかと思った。映画館の上映とインスタレーションとしての上映の大きな違い、それは“座って/立って”鑑賞することの違いだろう。前者は椅子に腰掛けスクリーンを凝視するのであり、後者は会場を自由に往来しながらスクリーンに目を向ける、ということである。「スクリーンを凝視」とは物語の生成、つまり「ショット」の生成と同義語である。わたしたちはイメージを見ているのではなく、そこに通過する感情としての「ショット」を見ているのである。それに対し、インスタレーションはイメージへの持続、つまり、観客であるわたしはそこを通り過ぎることもできるし、立ち止まることもできる。スクリーンにはあるのはイメージであり、そのなかにはなんら感情を通過しない。つまり、スクリーンを自由に往来する、時間の切断と持続の“自由”が保証されているのがインスタレーションである。どちらの良し悪しを述べているのではない。実験映画における「ショット」とは何か、そして「ショット」は存在するのか、とうことを考える上映だったのである。映画の内容と別なところに意識が行ってしまったのだが、フランセスカ・ヨペスの映像に幻惑されたことは言うまでもない。その内容につい言及するには、わたしはまだまだ無知のような気がする。Lumen gallery webに、彼女の言葉が紹介されている。

わたしはバルセロナ出身のビジュアルアーティストです。2010年から日本を旅していますが、この旅は、わたしの制作活動に深みを与えてくれます。この旅のあいだ、わたしの手には、ノートとカメラがありました。日本庭園の独特さや、道々の音に魅了されました。自然に対する親しみ深さだけでなく、都市の物質性への強い拘りが、今回のこの展示のために選ばれた映像作品のなかに見出されることは疑う余地がありません。わたしの目的は、沈思黙考や精神的高揚感、あるいは困惑などといったさまざまな雰囲気を作り上げ、観客を引き込むことです。わたしの芸術は、ある種の救済をもたらす、イメージの版を重ねた映画という痕跡です。

(フランセスカ・ヨペス)

フランセスカ・ヨペスは1956年、バルセロナで生まれる。はじめ絵画と詩を学び、1981年、文化賞の奨学金を得てワルシャワを旅し「連帯」の民主化運動に触れ、画家として彼女の世界が変わる。ワルシャワ経験が彼女の芸術の中核をなすことになる。2002年、初のビデオ・インスタレーション発表。カタルーニア独立運動の活動家でもある。
〈上映作品〉
『EUCALIPTUS』5分29秒(2010)
『ETC』11分47秒](2004)
『UDOLANIA』5分1秒](2005)
『HOMM』4分35秒(2004)
『SEA HORSES-GINESTA』7分27秒(2013)
『GON-NG』8分45秒(2015)
『WHITE TEARS』8分09秒(2018)音楽:barbara held

《映画日記7》濱口竜介、イエジー・スコリモフスキ作品、ほか
に続く

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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