マガジンのカバー画像

映画の扉_cinema

169
どんなに移動手段が発達しても世界のすべては見れないから、わたしは映画で世界を知る。
運営しているクリエイター

#映画批評

【映画評】 河瀬直美映像個展(ドキュメンタリー作品集)覚書

1本の映画を見て、その中から外部としての幾本かの映画を思い浮かべることがある。それは引用であったり、他者へのオマージュであったりするわけだけれど、そのような直接的な関連ではなく、表現の概念的な眼差しというか、カメラのこちら側の思考への共鳴というものを感じることがある。チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』のクレジットを見て、ああそうなのか、と思った。チャン・コンジェが描く世界に、河瀬直美監督は共感したに違いないと思ったのだ。 河瀬監督の初期作品には、フィクションとドキュメン

【映画評】 ウォン・カーワイ『若き仕立屋の恋人 Long version』 エロスを記憶する手

ウォン・カーワイ『若き仕立屋の恋人 Long version』(原題)愛神 手(2004) 2001年のオムニバス映画『愛の神、エロス』の一編として発表された短編「若き仕立屋の恋」。 本作は再編集による「Long version」。とはいえ、時間は56分の中編である。 娼婦ホアに最後の衣装を届けるチャン(チャン・チェン)のクローズアップシーンで映画は始まる。そのとき、ホアは落ちぶれ、死を待つ病身となっていた。カメラはホア(コン・リー)を見つめるチャンの顔を捉え、ホアは自己

【映画評】 中川奈月『彼女はひとり』

中川奈月『彼女はひとり』(2018) 本作は、中川奈月監督が立教大学大学院映像身体学科在学中、講師の篠崎誠監督のもとに製作した作品である。 彼女は大学卒業後、東京藝術大学大学院映画専攻に進学し、修了制作『夜のそと』(2019)を撮っている。 『彼女はひとり』を見たのは那覇市滞在中のことであった。夕方は雨という天気予報。靴が濡れるのは嫌なので宿舎の近くで夕食をとり、その後は宿舎に引きこもりと決めていた。だが、夕方になっても降る気配はない。ならば、映画を見に行こうと決め、映画

【映画評】 草野なつか『王国(あるいはその家について)』 Domains、家

草野なつか『王国(あるいはその家について)』(2018) 映画冒頭、検事による調書の朗読。亜希に事実確認をする事務的作業。映画を見るわたしたちは、審判への不意の立会人となるかのようだ。 幼い頃の亜希(澁谷麻美)と野土香(笠島智)。ふたりが台風の日に、一枚のシーツと椅子で作り上げたお城とその周辺を想像で作り上げた空間。それは少女の幻視の空間に過ぎないのだが、それは、ふたりだけの言語を介入させることで作り上げた、閉領域(本作では領土と名づけた)としての空間である。亜希はその領

【映画評】 オードレイ・ディヴァン『あのこと』

オードレイ・ディヴァン『あのこと』(2022) 本作の主人公アンヌは1940年生まれ。原作者アニー・エルノーと同じ生まれである。このことからも、原作が自伝的文学であることが分かる。 大評判であった本作。見たい気はあったものの、内容として気が重く見るのを躊躇っていた。だが、作品web上の主演アナマリア・ヴァルトロメイの眼の表情があまりにも魅力的で、それをどのように撮っているのか気になり、そして数日後に終映ということで見に行くことにした。 邦題は『あのこと』。「あの」という

【映画評】 ヴィクトル・コサコフスキー『GUNDA/グンダ』 見事なまでのダイレクトシネマ

ヴィクトル・コサコフスキー『GUNDA/グンダ』(2020) ヴィクトル・コサコフスキー作品を見るのは本作がはじめて、というより監督の名すら知らなかった。 本作のホームページによると、レニングラードでドキュメンタリーのカメラアシスタント、助監督、編集者として映画のキャリアをスタート。 その後、モスクワで脚本と演出を学び、哲学者アレクセイ・フェドロビッチへ捧げた『Losev』(1989)で長編映画デビュー。 問題を抱えた農民の家族を追った『The Belovs』(1992)

【映画評】 ロベール・ブレッソン『湖のランスロ』

ロベール・ブレッソン『湖のランスロ』(原題)Lancelot du Lac(1974) ブレッソン曰く 「ランスロとグニエーヴルは、いわば媚薬なしのトリスタンとイズー」 ブレッソンが聖杯探しの失敗という時代劇を制作するとは意外な気もするのだが、ランスロの特異な内面の冒険に現代的解釈を施した完全なブレッソン映画である。職業俳優でなく優秀な騎士を使ったという。ブレッソンにとり、作品主題はブレッソン自身が表現するための口実に過ぎなく、そこから作り出されるヴィジョンが重要なのであ

【映画評】 ジョナス・メカス関連の日記風メモ

2013,5.24 ジョナス・メカス『ウォールデン』(原題)Walden (Diaries, Notes, and Sketches)16ミリ(デジタル版)180分(1969) 昨年90歳を迎えた詩人でアメリカのカウンター・カルチャーのヒーロー、ジョナス・メカスは映画に日記というスタイルを生み出した。『ウォールデン』は彼の最初の日記映画であり、1960年代ニューヨークのアヴァンギャルド・アートシーンの壮大な記録となっている。個人映画におけるターニングポイントとなった作品。

【映画評】 ジョナス・メカス『幸せな人生からの拾遺集』 を編む

ジョナス・メカス『幸せな人生からの拾遺集』(2012)(Outtakes from the life of a happy man)をどのように語ればいいのか、わたしにはそれが見出せない。 『ウォールデン』(1969)、『リトアニアへの旅の追憶』(1971-1972)、『ロストロストロスト』(1976)ならば時間軸や社会背景をもとにジョナス・メカスを語ればいいのだろうが、遺作となる本作にそれが相応しいのか躊躇わずにいられないし、おそらくそうではないだろう。 本作の構成が「

¥100

【映画評】 デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン『裸足の季節』 松田聖子の歌謡の走り抜ける瑞々しさと相似形?

監督デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンDeniz Gamze Ergüvenについて 1978年トルコ・アンカラ生まれ。 1980年代にフランスに移住しフランスの学校に通う。 2008年、国立映画学校『La Fémis(ラ・フェミス)』を卒業。卒業制作の「Bir Damla Su(Une goutte d’eau)一滴の水」がカンヌ国際映画祭のオフィシャル・セレクションで上映され、ロカルノ映画祭のレオパーズ・オブ・トゥモロー賞を受賞。 卒業から3年後、1992年のロサンゼルス

【映画評】 濱口竜介+酒井 耕『なみのこえ気仙沼編/新地町編』『うたうひと』 3.11を現在時制に接続するシンプルな手法の創出

濱口竜介+酒井耕による東北記録映画三部作は次の作品群からなる。 第一部『なみのおと』(2011) 第二部『なみのこえ気仙沼編/新地町編』(2013) 第三部『うたうひと』(2013) 2011年の3.11東日本大震災後、濱口竜介と酒井耕は宮城県に赴いた。 宮城県は津波被害を最も大きく受けた地域のひとつなのだが、両監督は廃墟となった被災地の現状や被災者の惨状そのものを撮ることをあえてしなかった。二人の監督は数年間にわたりその地に足を運び、被災者の声に静かに耳を傾け、ドキュメン

【映画評】 石橋夕帆監督の新作『朝がくるとむなしくなる』を見る前に、『左様なら』を回想したい。

大阪アジアン映画祭2023で石橋夕帆監督の新作『朝がくるとむなしくなる』(2022)が上映される。働くこと、学校へ行くこと、生活をすること。何かが起きるわけでもない日々。そんな退屈な日々でも何かが動き出し、次第に心が消耗してゆく。数日後、わたしも見に行くのだが、その前に石橋夕帆監督の前作であり長編第一作の『左様なら』(2019)を回想したい。 『左様なら』は海辺の町を舞台とした青春群像劇なのだが、原作はTwitterやInstagramで若い世代から支持を得ているイラストレ

【映画評】 スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』

過剰でも過不足でもなく、映像と台詞が程よく物語へと誘ってくれる。女子も男子もそれぞれの悩みで自分のことで一杯なのだが、スクリーンのこちら側にいるわたしはどこかすがすがしく感じる。わたしもロンドンへの列車に乗ってみたい。 英国の青春映画スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』God Help The Girl(2014)を見て、そんな印象を受けた。 『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を見て、わたしも女子のように恋バナに花を咲かせたくなったけれど、それは無理、という

【映画評】 ホー・ユェン(和淵)『阿仆大(アプダ)』 背景音についての覚書

ホー・ユェン(和淵)『阿仆大(アプダ)』(2010)が日本で初めて上映されたのは2011年山形国際ドキュメンタリー映画祭である。わたしが本作品を鑑賞したのはそれから8年後の2019年、神戸の元町映画館で「山形国際ドキュメンタリー映画祭傑作選」の一作として再上映されたときである。 ホー・ユェン(和淵)『阿仆大(アプダ)』  背景音についての覚書 映画冒頭、肩に木を担ぎ歩みを進めるひとりの男。男の名はアプダ(阿仆大)。彼は「根っこのついた木は運ぶのに骨が折れる。根っこを切らね