理想の教師像
高校生の頃、大学生の頃、本格的に教師になろうと考え出した頃、理想としてた教師像があったはず。
でも今は、現実を追いかけるのに必死でその教師像に近づいているのか、かけ離れているのかすらわからない。
生徒の拠り所になれる教師で居るために、ここに自分の思い描く教師像を残していこうと思う。
教師とは。
"学業を教える人。先生。"
では、先生とは。
"教師・医者など、学識のある、指導的立場にある人。
また、そういう人、自分が師事する人に対する敬称。"
辞書に書いてあることだから間違いはないと思う。
しかし、これだけでは先生(教師)は務まらないと私は思う。
多様化が進み、科学技術の発展が進み、学識を持って学業を教えるだけが教師の役割ではなくなってきている。
生徒がこれからの人生を歩んでいくための、道しるべの見つけ方を伝えていくのも教師の役割だと私は思う。
学生の頃、私は教師という存在が好きではなかった。
かと言って、嫌いというわけでもなかった。
あの頃は自分の好きなことに一直線で、それ以外のことにあまり興味を示してこなかったのだと思う。
例え悩みごとがあってもいつも頼るところは家族か友達で、先生に何かを相談した記憶はほとんどない。
興味がないという言葉で片付けてはいるが、心のどこかで教師に対して疑心を抱いていたのだと思う。
先生は良くも悪くも目立つ子にばかり注意を向ける。
それは仕方のないことだが、学生の頃の私はその中間にいる子の存在がすごく気になっていた。
今思い返せば、先生はちゃんと1人ひとりと向き合っていたのかもしれないが、あの頃の私には1対40の関わり方しか見えなかった。
先生の関わりが上辺にしか見えなかった。
私は私が教師であることに未だに違和を感じることがある。
私が教師でいいんだろうか。
先生と呼ばれていいんだろうか。
教師になった以上、今さら考えても後に引けないのだが、定期的に立ち止まってしまうことがある。
けれどその度に、生徒の「先生!!」という声に助けられる。
生徒が居るお陰で先生でいられるし、先生でいたいと思える。
生徒にとっては当たり前のことかもしれないが、私は生徒が呼んでくれる「先生!」にいつも感謝している。
理想の教師像1つ目は、生徒に伴走する教師。
生徒の先を行くのではなく、後ろから見守るでもなく、生徒の隣で一緒に考え、一緒に悩み、一緒に成長していける教師でありたい。
2つ目は、小さな変化を見つけられる教師。
生徒が"自分はちゃんと見てもらえてるんだ、大切な存在なんだ"と感じられるように、プラスもマイナスもどんな小さな変化でも見つけられる教師でありたい。
3つ目は、1対1の関わりが出来る教師。
授業中でもそれ以外でも、大勢の中に居ても、ちゃんと1人ひとりと向き合える教師でありたい。
4つ目は、いつも笑顔で居られる教師。
生徒が話しかけたいと思った時、何か相談したいと思った時、いつでも気兼ねなく話しかけてくれるような教師でありたい。
当たり前のようで当たり前じゃない毎日に感謝しながら、自分だけの人生を拓いていこうと思う今日この頃。
これからも、誰かのために自分のために前に進んでいきたいと思う。
最後までお読みいただきありがとうございます。
自分の心の内をそのまま書き綴ったので、拙い文章になっていますことお許しください🙇♂️