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冬の桜が教えてくれること
誰もカメラを向けない冬の桜を、私は今日も見上げた。
「桜?この冬の時期に?」と思われるかもしれない。
冷たい風に揺れる枝だけの姿。
空っぽに見える冬の桜だけど、その細い枝の中では、確かに春への準備が始まっている。
「今日この桜の木の写真を撮ったのは私だけかもな」
そんなことを思う。
満開の桜を咲かせている時期は一日で何百人、いや、何千人と撮るかもしれないのに。
人は桜の開花前になると、突然そこに桜の木があることを思い出し、意識がそこに向く。
「今年はどこで花見をしようか」なんて。
そうやって満開の桜を見上げて、「やっぱり春は桜でしょ」なんていうけど、桜はそのずっと前から綺麗に咲く準備をしている。
人に注目されるのは一年のうち一週間前後で、あとはずっとずっとその瞬間のために静かに力を蓄えている。
そう、みんなが注目するタイミングと頑張っている時期には時差があるんですよね。
(頑張っているという意識は木にはないと思うけど)
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私も発信者として、時々思うんです。
華やかな瞬間の裏には、誰にも気づかれない準備の時間がある。
それはもう何とも地味で地味で。
それを知っているからこそ、この冬の桜の姿に心惹かれるのかもしれません。
今輝かしく成功している人も、その多くの時間を誰も見ていない場所で、花を咲かすための準備を淡々としているはず。
誰も見ていなくても、春は必ず来る。
桜の木は、そんな当たり前の真実を、静かに教えてくれる。
だから私はこの道を通るたび、冬の桜を見上げるのです。