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95歳のおじいちゃんは、"ありがとう"を何度も繰り返す

「また何度も同じ事言ってるな」

そう思って目を合わせた夫と、思わず笑みを交わす。
でも、この"繰り返し"が、今では私たちの宝物になっている。

お正月、修繕工事を終えてキレイになった団地の階段を上がる。
来月で95歳になるおじいちゃんは、この2DKの一室で一人暮らしをしている。玄関を開けると、大音量のテレビの音が響いてくる。
そう、おじいちゃんは耳がとっても遠い。

ダイニングルームの隅に置かれた一人用の小さなテーブル。数年前まではそこに、おばあちゃんの姿があった。その光景を思い出すだけで、実は今でも胸が締め付けられる。
私はおばあちゃん子でもあった。

「おじいちゃーん!」(大声)

耳の遠いおじいちゃんは、最初は気づかない。でももっと大きな声で呼びかけると、笑顔でびっくりした顔で振り返ってくれた。

週1回来てくれているヘルパーさんのおかげで部屋は片付いていて、いつも少食なおじいちゃんの顔も今日はいつもよりふっくらとしているように感じて顔色もいい。私はそんなおじいちゃんの様子を見てホッとする。

小学生の頃から、おじいちゃんは私の自慢だった。運動神経抜群で、連続逆上がりができて、往復約60キロも離れたわが家まで自転車で遊びに来てくれるような、スーパーおじいちゃんだったから。

今でも毎朝の体操や散歩を欠かさないそう。そこで会う仲間に、私の著書『片付けは思考が9割』を「これ、孫が書いた本なんです、孫は作家でして。」と自慢してくれているらしい。(作家ではないけど)
誰よりも出版を喜んでくれたのがおじいちゃんで、こんなに喜んでくれるなら、本当に本を出せて良かったって思ったし、おばあちゃんにも見せたかったなと思う。

そんなおじいちゃんの話す内容は、だいたい決まっている。

それはこんな言葉たち。

「一人でも元気にやってるで、何の心配もいらんからな」
「娘(私のおば)が毎日来てくれて、よくしてくれてるんやぁ」
「息子(私の父)も気にかけてくれて、おもしろそうな本を色々すすめてくれる」

今はこんな本を読んでいると見せてくれた本は、私が見てもチンプンカンプンな分厚い歴史の本。
「ボケ防止やなくて、ただ読みたくて読んでるんや」と笑う。
おじいちゃん、すごいな。

そして毎回必ず耳に巨大なタコが出来そうなくらい繰り返しいう言葉が
「顔見せに来てくれてありがとう。ほんまに嬉しいわぁ」
しわしわの手をスリスリと顔の前で拝むようにこすり合わせながら、何度も何度も言う。
その温かい手を握ると、不思議とこちらまでポカポカしてくる。

年を重ねると、誰でも同じ話を繰り返すようになる。その中身が愚痴や文句になりがちなのは、ある意味自然なことかもしれない。長い人生色々な辛いことや苦しいことがあるから。

でもおじいちゃんは違う。
いつも「ありがとう」「おじいちゃんは1人でも元気にしてるから安心してな」という言葉を選ぶ。

最後は涙ぐみながら「来てくれて本当に嬉しい」と言うおじいちゃん。
きっと亡くなったおばあちゃんや兄妹のことを思い出しているんだと思う。その姿を見て私も夫も思わずもらい泣き。
隣では小4の息子が、空気を読んでちょっと困った顔をしながら笑ってた。

今日も団地を後にする私たち。ふと私は6階のベランダを見上げる。昔はここで、おばあちゃんが私たちの姿が見えなくなるまで、満面の笑顔で手を振ってくれていた。

いつか私も年を重ねて、何度も同じ言葉を繰り返すようになるのかな。
その時、おじいちゃんのように、誰かの心をあたためる言葉を選べる人になっていたい。

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