一人時間の本質〜「共」と「個」のバランス〜
「わたしは一人時間が好き」
この言葉を発する時、いつも頭の片隅に意識していること。
それは「一人時間が好き」と言えるのは、大切な人が側にいてくれるからこそ安心して放てる、とっても贅沢な言葉だということだ。
どういう意味か?
もしわたしに、家族や友人など、大切に思える人が一人もいなくて、ずっと一人だったら、そもそも「一人時間が好き」って言葉も発想も出てこないだろう。
一人で自由気ままに過ごす出張先のホテル
自分のペースでスマホをいじりながら食べれるランチ
誰の目も気にせずソファにダラ〜ンと横になりながらする読書
これらの一人時間を心から楽しめるのは、その時間が終わったら帰る場所、会える人がいるという安心感があるからこそだ。
特に幼い子どもを育てる親にとって、この「一人時間」の価値は計り知れない。例えば、子どもを保育園に預けた直後、自転車を漕ぎながら「自由だ〜!ここから私のペースだ〜!」と感じる瞬間。
わたしも毎度そう思ってたからよくわかる。
でもそれはわたしにとって可愛くて可愛くて仕方のない息子がまた仕事帰りに迎えに行ったら必ず「おかあさ〜ん!」と駆け寄ってきてくれるという確信があるからこそ味わえるものだ。
「動」があるから「静」の心地よさを噛み締めることができる。
「共」があるから「個」を快適に思える。
この対比の中にこそ、一人時間の真の価値がある。
とはいえ、今乳幼児期の子育て真っ最中の方は「一人の時間がほしい。しんどい。」と感じることも多いと思う。
でもそんなときは
「この子がいてくれるから、そんな感情も湧くんだな」
「ずっと一人だったら、こんな風に一人時間を求めることもないかもしれない」
そんなふうに思ったら、すこ〜しだけ気が楽になれないかな?なんて思ってこんな言葉を届けてみた。
大切な人は子供かもしれないし、パートナー、両親、親戚、友人かもしれない。誰であれ、その人がいてくれるからこそ、私たちは一人時間を心から楽しむことができる。この事実を忘れずにいたい。
そして、一人時間を楽しめることに感謝しながら、大切な人とのつながりも同時に大切にしていく。それが、わたしの理想。
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ふとこんなことを考えていると、noteに残しておきたくなって、月・水・金の20時更新を無視してこの記事をUPすることに。
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