死にたいと言われてしんどい。 死にたいと軽々しく言って欲しくない。 そう、友は言った。 じゃあなぜ軽々しいと思ったのか 死にたいと言って死なない人もいれば、 死にたいと言い本当に死ぬ人もいる。 その本気度なんてその人しかわからない。 それを解ってあげられる人はこの世に何人といるのだろうか。 しんどいのも確か。 自分が一番大切。 しんどいという気持ちも大切なのも確か。 けど、もしもその人が勇気を出して貴方にしか 死にたいと言っていなかったら? 貴方にしか伝えられない誰にもこ
人に押し付ける価値観と期待はやはりしてはいけない。 けどサボることに対しての叱りを 押し付けというのだろうか。 仕事はお金が発生している。 体を壊したわけでも心を壊したわけでもない。 ただだらけ、サボっている人に叱りを入れることを 価値観の押し付けというのだろうか。 仕事をせず、プライベートの話で盛り上がり それに対しての罪悪感はないのだろうか。 わたしが完璧主義なのはわかっている。 だから自分の心が壊れた。 けど、それと同様になれとは思わない。 だけど、それなりにお給料
言葉は怖い。自分はそんな風に思ってもないことだったかもしれない。 だが受け身がそう思ったらそうなのだ。 国語の時間でいつも不思議だと思うことがあった。 この小説で○○くんはどう思ったか書きなさいという 質問に私はいつも疑問を抱いていた。 小説。作り物の世界。空想の世界。 読んだ人にしかわからない物語り。でも 何百人読んで答えが一つだけだろうか。 空想の世界なのだから、答えも何百通りあると思っていた。ここで正解を一つにするとそれでしか 答えが出てこない。物語りの幅が狭まれる。
身体を切った。 血が出た。涙のように身体を伝い落ちる。 血が私の代わりに泣いてくれている。 体に伝う血が温かく心地よい。 安心する。 異常なのだろうか。 私が悪いのだろうか。 何が正しく何が悪いのか。 人は身体を大切にという、 でも私はこれがないと心が死ぬ。 身体を犠牲にするか心を犠牲にするか。 どちらを選ぶかだと思う。 でももう、もしかしたら心は死んでいるのかもしれない。 だから切ってしまうのか、わからない。 安定なんて来世まで私には訪れない気がする。 血が落ちた床が綺