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【どう思います?】再会について

今日は、ちょっとスピリチュアルが入っているようにみえかねないお話。

僕はインドア趣味なのであまり外に出ません。
長時間、屋外にいると人疲れしてしまうので、特に僕の暮らしている東京は、たとえ平日でもどこに行っても人が多いため、用事で繁華街に出ても、それを済ませたらすぐに帰ってしまいます。

そんな出不精な僕でも、時折、経験するのが、

「昔の友人や知人とばったり会う」

といった経験です。

渋谷とか、特に多いかもしれないですね。
僕の所属しているテレビ業界の方々も渋谷界隈にいたり、井の頭線や東横線沿線に住んでいる人が多いので、よくあの街に集まるようです。
僕も、少なくとも2ヶ月に1回は行っています。

だからこそでしょうか。
某ファーストフード店でオーダーを待っていると、

「あれ、田中くんじゃない?」

と声をかけられたり、バスケットボールストリートを歩いていると、知り合いに声をかけられた、といったことも多いです。

こういう“再会”って、

「その再会相手ののことが頭にないときほど起こる」

って思いませんか?

少なくとも僕は、別に恋愛とかに限らず、

「あの人、今、何をしているんだろう」

と考えるような人と街で出会したりしたようなことはありません。
こう表現したら語弊があるかもしれませんが、「ほとんど存在を忘れていた」レベルの人と、ばったり遭遇した経験ばかりです。

それが元で再び交流が復活する、というわけではないけれど、不思議なのは、そしてここからようやく本題に入るのですが、僕が思うのは、


「人は、”縁”があれば、また必ずつながる」

ということです。

人間って、それぞれの置かれた環境や誰と一緒にいるかで、価値観が変化していきます。
僕が考えるに、かつて仲が良かった人と縁が切れてしまうのって、

「本人たちの気づかないうちに、お互いの価値基準に大きな隔たりができていた」

から。

喧嘩別れに終わった場合、一概に「何方が悪い」というわけではない。
価値観がずれてしまうと、喧嘩しなくてもいずれ切れていく。

ただ、この縁の不思議な点って、ここで、僕が書いたように、街でばったり見かける、といったきっかけなどから、また復活する可能性がある点です。

復活しない縁もあります。

その場合は、お互いの物の見方がもう完全に相容れないものになっていたということ。
復活する場合は、長い時間と経験の間に、二人の間を隔てていた物事への見方とか、そういったものが知らず知らずのうちにまた埋まっていたということ。

ここまで書くと、スピリチュアルでもないことがわかると思う。

縁があればどこかで、そしてそれは大抵、その人のことを意識しなくなったときにまたつながるときがくる。
逆に縁がないときに無理にまたつながろうとすると、取り返しのつかないことになるかもしれない。

縁の力って、不思議ですね。

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田中雅(みやび)
読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。