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「悔しさ」の正体を考えてみた。

今日の投稿に関しては、まだ僕の中でも結論が出ていないことなので、考察が中途半端になっていたり、ご賛同いただけない方もいるかもしれません。

40年生きていれば、それなりの経験はしてきているわけで、僕も、人よりは少ないかもしれませんが、失恋だったり、勝負に負けたり、といった経験はしてきています。

その度に、物凄く悔しい想いをしたときほど、後で振り返るとこう思うんですよね。





「そんなにその人(物事)のことが好きではなかった」。

こう思うのは、僕だけかもしれないですが。

ここからは些かダークなお話なので躊躇いながらお書きするのですが、僕が考えるに、「悔しさ」って、自分よりちょっと「下」に見ているというか、下に見ているわけではなくても、

「ココならいける」

と思っていた人や物事に対して、それが叶わなかったとき、

「なんで自分がココに相手にされない(負けないといけない)のか」

と考えてしまい、その結果、生じるものだと思います。

これが「悔しさ」の正体ではないか。

もちろん、この「悔しさ」にも大小があって、悔やむ気持ちが小さいとき。

これは、一般的には、「本当はそんなに欲してはいない対象」に対してそうなると思われがちです。

ただ、僕は“逆”だと考えています。

「本当に欲していたからこそ、自分の理想だからこそ、良い意味で諦められた」

つまり、最初から自分より上に見ている。
だから悔しい気持ちが小さくて済むのだと思いました。

それに対して大きな悔しさ。
僕は、これは「執着」と似ているところがあると感じていて。
執着は、「手に入りそう(だと思っているもの)」に対して、それが自分の予想とは違って手に入らなかったときに起きると思っています。

すると、

「なんで自分があいつにあんな目に遭わされなければいけないの?」

と考えることになり、ちょっとやそっとでは立ち直れないほどの大きなショックを受けることになる。

それはそうです。
自分が実は、その下に見ていた人より下だったという現実に直面することになってしまうのですから。

こう考察してみましたが、みなさん、いかがでしょう?

少なくとも僕はそうでした。

これまでに大きなショックを受けた経験、その数は人よりは少ないかもしれませんが、その経験はどれも「これはいける」と鷹をくくっていたものに対して発生していたような気がします。

ちょっと人間の嫌な部分を抉る(しかも自分で自分のことを)ような投稿になってしまいましたが、これは決してダメなこととも言えないと思います。

こうした経験によって自分を客観的に見る力が養われ、大切なものを見極められるようになるし、本当に理想とするものを追いかけようという気持ちになれると思うので。

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

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田中雅(みやび)
読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。