
誰の影響で随筆を書くようになったか
自己紹介の続きのようなもの。
そもそも、こうして文章を綴るようになったのは、寺田寅彦と中谷宇吉郎の影響である(敬称略)。お二方とも物理学者であり、また随筆家でもあった。その文章は科学的題材を扱いながらも文学的であり、科学者の精神をよく表現されておられた。まさにそれは自分が書きたいと思っていた文章の型そのものであった。
私の読書履歴
もともと、本を読むことは好きで、小さい頃はハリー・ポッターやナルニア国物語などのファンタジーを夜更かししながら読んでいた。非現実の世界が私の人間性に与えた影響は相当なものである。
とにかくワクワクする物語がすきであった。
たつみや章の月神シリーズも小学生の間に読んだ記憶がある。
高校時代は倫理の教科書が最高の読み物であった。私にとって哲学入門はこの時期に行われた。
大人ぶっていた時であり、武士道とか読んじゃっていたのも高校の時である。恰好つけて芥川龍之介とか読んでいた(100均で買ったやつ…)
受験勉強に忙しく、読書量は多くなかったと思う。
時間を持て余す大学生時代は伊坂幸太郎や森見登美彦を好んで読んだ。
小説ばかりで有名なミステリやSFとかもちょこちょこ読んだ。
なによりも群像劇と叙述トリック物が大好物である。
社会人となってからは自己啓発やセルフヘルプ系の本を読むことが多い。
なにせHSPはセルフケアが大事なので。
加えて、一般サイエンス書も非常に楽しんで読んでいる。
気づけば小説を読む量は減っている。
しかしこれらの中に、私に随筆を書くよう向かわせた者はいない。
中谷宇吉郎との出会い
寺田寅彦と中谷宇吉郎を知ったのはここ1年くらいの話である。
先に知ったのは中谷宇吉郎の方であった。
これは全くの偶然によってもたらされた出会いである。
石川県の片山津温泉へカニを食べることを目的に旅行へ行ったのが一昨年の話である。
その時に、近くに雪の科学館があることを知って、時間もあったので興味本位で見に行ったわけである。
雪に関する研究の話はもちろんすばらしいものであったが、それとは別に、彼の経歴と遺された言葉に共感を覚えたのであった。
中谷宇吉郎は石川県出身であり、北海道大学で雪の研究をされていた。だから展示の内容もこのふたつの地域にフォーカスされる。
私は北海道出身で石川県で仕事をしている。
同じ土地を経験しているというだけで親近感が増し、何か運命的なものを感じてしまったのである。
そして、嫉妬にも似た感情を抱いてしまった。科学者としての哲学、美しい文章、繊細な研究テーマ、それらが全部自分の求めていたものだったからだ。
科学と文学の交わるところ
かねてから理系と文系をはっきりと隔てがちな日本社会に嫌悪感を抱いていた私は、その真ん中であることを模索していた。
高校では理系を選択し、大学院まで進んで研究をしていたのもあり、科学者的な物の考え方が好きであった。一方で、上述したように文学的作品も好きであったから、科学だけでは飽き足らず文学の世界にも関わる方法も考えていた。
少なくともこれまで生きてきた私の狭い世界の中では、科学者でありながら、文学的な表現をする人は少ないように思っていた。
神秘は遥か彼方にある
中谷宇吉郎の言葉である。
これを言葉にできる科学者がいたことに喜びを感じたのだ。
他にも、雪について述べられた文章は、ひと言ひと言が繊細で、私が雪国育ちであったことも手伝い、深い共感と中谷宇吉郎との不思議な一体感を感じたのであった。
雪の科学館を出る時に、売店にあった本を思わず1冊買ってしまったくらいである。
その後、随筆集を電子書籍で購入し、通勤の時間を使い読み切った。
読めば読むほど、私がぼんやりと目指していた文章の型が具体的な姿となって現れ、自分の思考を表現する方法を教えてくれたのであった。
寺田寅彦との出会い
随筆を読み進めていると、中谷宇吉郎には寺田寅彦という師がいるらしいことがわかった。
ならば読むしかあるまいと思い、こちらも作品集を購入した。
中谷宇吉郎の作品数が77作品弱であるのに対して、寺田寅彦は290作品と数が多い。書かれた時代も古いため、言葉遣いも少し難易度が上がる。昨年のうちに読み切りたかったが今も読んでいる途中である。もちろんたいへんにおもしろい。
そして寺田寅彦こそ、科学と文学を調和させた張本人であった。
まさに私が目指す表現の原点とも言えるかもしれない。
なお、その寺田寅彦の師といえば夏目漱石である。
「吾輩は猫である」に出てくるキャラクターのモデルが寺田寅彦というのも後から知った話である。
また、寺田寅彦は自身の随筆の中で自らのことを神経が細いと何度か言っている。
たぶんHSP気質があったんだろうなと、自分に重ねて嬉しくなる。
そういうわけで、私も御二人の文章の型を見習って、真似事のように稚拙な随筆を書いてしまっているのである。
もちろん私は物理学者ではないから、科学的題材をふたりのように書くことはできない。
だけど表現の仕方は同様でありたいと思う。
私は少し言い換えて「理性と情緒の調和」を目指すのである。いずれにせよ私の師がこの二人であることには違いない。
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