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未知のウイルスに怯えながら、4人で過ごした24時間×180日

突然世の中に未知のウイルスが出現してから、保育園の自主休園(3歳+5歳)を開始して半年が経った。

半年のあゆみ

2月 本当に大丈夫かな?不安を抱えながらも決意を固め、スタートした24時間4人一緒の暮らし。
仲良く過ごすためのルーティーンができる前の不安定な日々。まだ雪は深く、外遊びは準備に1時間かかって、遊べるのは30分(寒い)

3月 COVID-19の最新情報を毎日追いながら、最善の策を模索していた緊張感のある日々。
4人の生活リズムが完成すると同時に溶けてきた深い雪。

4月、春の日差しを迎え、雪が溶けた路面。
長い間雪に囲まれていた北海道民にとって、このキラキラはちょっと眩しいくらいなのだけど、やっと外で走り回れる開放感。今年は格別だった

5月、国内の感染者数増加で緊張感が高まる。
外に一歩も出ない派の夫と、散歩で免疫力キープ派の私で夫婦喧嘩→HSCの長女が情緒不安定に。不安にざらつく心に希望をくれた桜。


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6月、毎日新しく萌える草木、花の出現にときめいていた。
仲良く暮らすためのシステムが整い、親のイライラも少なくなってきた。

7月、市の登園自粛要請が解除されたけど、引き続き自主休園を継続。
時間が少ないなかでも業務を回す術も確率していた。

いちばんやりたかったことが叶った。

この自粛生活をして、よかったことが沢山あった。

ずっとやりたかった「子どもとのおかし作り」にチャレンジしたり、近所のさくらんぼの木に登ってさくらんぼ狩りをしたり、桑の実を拾ってジャムを作ったり。初めて育児を楽しんだ気がした

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1年前に胃カメラ検査で「悪性リンパ腫」の疑いをかけられた。(精密検査の結果誤診)もしあと少ししか生きられないとしたら一番にやりたいと思ったのは、「子どもとたくさんの時間を一緒に過ごす」ことだった。それが思わぬ形で叶った。

登園拒否気味だったHSCの5歳は、休園生活が始まってから、親に素直に甘えられるようになった。
保育園で気を張り詰めていたときは、どう甘えたら良いのかわかなくて泣き叫ぶことが多かった。

ネタに尽きない子どもたち。この180日で育児絵日記もたくさん描けた。


仕事しながらの育児は楽しいことだけではないけど、それを選択できる事への感謝の方が大きかった。

家も4人が四六時中ともに過ごす作りではない。明らかに一部屋足りない。
住む家以外の生活システムの全てを構築し直した。


▼1日のタイムスケジュールはこちら


24時間可愛いシャワーを可愛いと感じられるか?

午前中に森へ行き、子どもたちと毎日新しい発見をする。
1日ごとに移ろう自然の美しさ。BGMは鳥のさえずりや虫の声。


午後のお昼寝から夫に育児をバトンタッチして仕事に集中する。
3歳、5歳の可愛いシャワーを常に浴びられる幸せ。こんなに毎日可愛かったんだ。

でも浴びる可愛いシャワーが多くなれば、それと同じ量の負荷もあるのが子育て。
そして両親の負荷は子供へと巡ってしまう。
保育園に預けずに仕事を回すために、土日休みを無くして毎日育児+仕事

自粛生活を始めた当初は、すぐに仕事部屋に侵入してくる子どもや、ずっと散らかりっぱなしの部屋に、苛立ってしまうことが多かった。子どもは悪くないのにイライラしてしまい、親のイライラを感じた子どもが萎縮する。

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▲おっと、これは・・・汗(賃貸)

このままではだめだ。金銭的余裕はないけれど、ストレス軽減を最優先した。週に2食はテイクアウトを利用したり、紙皿紙コップを多用。

そして月に1度、4人それぞれのフリーデーを設けた。
「長女の日」「次女の日」はその子が好きな事をなんでもオッケーに。ダメゼロデーはやってみると親も気が楽でした。ダメって言ってる親もストレスだったんだな、と気づきました。

▼子どもの日の様子はこちら

「私の日」「夫の日」は、育児担当を丸一日外れて、1人の人間に戻る日。育児や仕事をしていいけど基本休む日。1人でランチに行ったり。
それ以降、精神バランスが整った。


夜、近くのコンビニへ行き帰ってきた夫「あ、やべ、明日の卵買ってくるの忘れた」次の食事の事を考えてくれる人がもう1人いるのはすごく助かる。

些細な事で夫婦喧嘩することもなくなった。
常に子どもがいる状態だからというのもあるけど、喧嘩に時間と労力をさいている場合でもないのだ。ちょっとした小競り合いがあっても次の瞬間には何事もなかったように協力しあう。そうしなければ回らない。
例えば、夫が唐揚げを作ってくれたとき、ごま油の缶が空っぽになっていたとしても。「ごま油で揚げたのね・・・どうりで美味しいわけだ。It's OK.」

家事分担の体制が整っていたのはPMDDを発症がきっかけ。いまとなっては辛かったPMDDにも、一緒に乗り越えてくれた夫にも感謝している。

克服記録はこちら↓

そして、社会の喧騒と離れ、子供と太陽と緑に毎日触れ合うことで、なんとPMSの症状がほとんどなくなり、漢方を服用せずに済んでいる。

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甘えと自立のバランス

ときどき「保育園行きたい?」と聞くと「行きたくない」と即答していた。
保育園との連絡で先生と電話しているのが聞こえた時、長女は号泣。「明日から保育園」と思ったのだろう。

けっこう我慢して保育園に行っていたのがわかった。

姉妹の相性も良く、楽しそうに過ごす子どもたち。もしこのまま保育園に行かなかったらどうなるのか。
でも、社会生活に出る事で得られる子どもの可能性もある。
もし親に甘えることで得られる安心感を、一切仕事をしないでずっと与えられたら良いかというとそうでもないのかも。
甘えと自立のバランスって難しい。

次女が初めて「保育園に行きたい」と言った

退園催促リミットまであと3週間というタイミングで、次女が初めて「保育園に行きたい」と口にした。友達には会いたくないけど、かわいがってもらってた保育士さんに会いたいらしい。
HSCの長女はおそらく永久に言う気配がないけど、次女は末っ子なりのストレスが溜まっていたようだ。

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保育に関して素人の私たち夫婦が保育士さんに勝てるわけないのはわかってた。でも実際に娘から言われると、言葉にはならない寂しさにじわじわと胸が締め付けられる。

感染への不安と子どもたちが突然家からいなくなった寂しさに耐えられるのだろうか。

世の中は検査体制や治療薬が整わないまま「withコロナ」に向かっている。


靴下が左右バラバラでも、誰にも何も言われない生活ってラク

3歳、5歳の自分にまっすぐな人たちとの、何の忖度もない日々。
子どもたちや自然と一緒にいると、シンプルで大事な事に気付きやすい。
常に自由な、湧き出る想像力の泉に、ずっと触れていられる贅沢な時間。

こどもたちと過ごす、重力のない日々は、控えめに言っても最高だった。
もともと世間から少し浮いているタイプの私たち。靴下が左右バラバラでも誰にも何も言われない。ってすごく気がラク。
おそらく人生で最も重力から解放されていた180日だった。

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祖父母の手を借りずに育児と仕事を回した半年。いつも元気をくれる子どもたち。この4人なら大丈夫。すこしだけ自信がついた。

あたらしい暮らしをつくるのはたのしい。

この180日で気づいたことは手放さずに、自分たちの軸はしっかりと持ち、のらりくらり生き延びていきたい。

maru(@marumaruscan)


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まるいみさき|イラストレーター
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