「書けない気持ち」と「書きたい気持ち」と。
いろいろ自由に語るシリーズ
~No.12~
3週間ほど前に「緊急事態宣言にいろいろ持ってかれてて、最近は文章が書けない」ということを書きまして。
ほんとにしばらく、note更新が途絶えてました。
書かないことで気持ちと時間の余裕が生まれる反面、習慣化していたものが途絶えると、何とも言えず落ち着かない気分になるものです。そして「週1のガッツリ掃除」のリズムが崩れて、また汚れが各所に貯まってきました(笑)
それでもあの時、「書けない」と「書いた」ことには意味があるな~と思っています。
おそらく、「書けない自分」を文章化することで受け入れることができたのだろうな~と。これって結構、大事なことかもしれませんね。
「自分にとって望ましくない状態にある」ということについて、あえて文章化して、その状態を受け入れる。「自分で自分を許す」という。これができないと、どんどん自分で自分を追い詰めていってしまうことになるので。
SNSには基本的に、ネガティブなことは書くまい、と思っているのですが、特定の誰かのあの行動がムカつく、とかを書くわけではなく、敵はコロナ。もう、これは仕方ない。コロナのせいでネガティブな気持ちになったのなら、それは吐き出した方がむしろ精神が健全化する気がします。
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note始めてすぐの頃、ヤマシタ マサトシさんの毎日更新されるnoteを楽しみに読ませていただいていたのですが。
ある日突然、何らかのご事情があり、更新が途絶えたことがありました。数ヶ月後、戻って来られた時に、「書けない時期にも、書けない気持ちを書いておけば良かった」と書かれていたことが、とても印象に残っています。
なので、やはり、「書けない時の気持ち」も、書いて残しておくべきなのかな、と。
本当に、難しい時代に私たちは生きているなぁと思います。明らかに時代の転換期で、静かな暴風雨の中で、息を潜めて嵐の去るのを待っている感じ。
動き回ると嵐はより強く長引くので、大人しくしているしかなく、しかし完全に冬眠状態でもみんな死んでしまうから、最低限は動かないといけないという。
その「最低限の動き」に、それぞれの「自分軸」が必要なのだと思います。「これだけは譲れない」「これだけは続けるために、このように感染対策をする」という。そのバランス感覚が、実に重要なように思います。
何でもオンラインにするわけにもいかないし。
何でも対面を貫けばいいわけでもない。
このあたりがとても難しいところですね。
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1/7に、「緊急事態宣言が出るよ」と言われて、あちこち対応しているうちに、文章が書けなくなり……
2/2に、「緊急事態宣言はもう少し延長するよ」と言われて、あちこち対応しているうちに、また文章が書きたくなる……
人間とは実に不思議な生き物です。
とりあえず、昨日、下書き保存の文章をアップして、またリズムを取り戻すための、第一歩。
「書く」より「話す」SNSがブームのようですが。私は、「書く」方が、心が落ち着きます。
あ、私、「話す」のが、仕事だからか(笑)
余暇の時間まで「話す」になるのは嫌ですね(笑)
私にとっては、「書く」方が気楽な娯楽。よろしければまたお付き合いいただければと。