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18年前の母からの手紙を今になって読んだら、今の自分とダブっていて泣いた。

母は私にあまり興味がないと思っていた。

明るくて常にテンションが高くて、漫画の世界から飛び出してきたようにおっちょこちょいで、悩みなんて全然なさそうに思っていた母。でも私はそんな母と暮らしていた頃(二十歳まで)は、別に仲良くなかった。仲が悪いわけではないけど、明るすぎる母を冷静な目で見ている自分がいた。


私は中学~高校くらい、いわゆる思春期にはしっかりと反抗期があり、激しくはなかったものの、とにかく母のことが鬱陶しかった。たぶん傷つけるような言葉もたくさん言ったと思う。

大人になった今、なぜそんなに突っかかっていたのか、反抗的な態度をとっていたのか覚えていない。楽しかった友達との思い出ははっきりと覚えているのに、家族との都合の悪いことはぼんやりとしか記憶にないことが不思議だ。


少し前の話だ。

実家から送ってくれた荷物の中から、中学卒業の時に担任の先生が作ってくれた、「クラスの卒業文集」が入っていた。なぜ今それをこっちに送ってきたのか完全に意味不明だったが、懐かしかったので開いてみた。

当時の3年2組の全員分のページがひとりずつ見開きで割り振られていて、思い出やクラスのみんなへの言葉が書いてあった。私のページは、2組がとにかく大好きだ!友達最高!という気持ちを、恥ずかしいくらいクサい言葉で綴られていて読むに堪えられなかった。

その中に、「親から我が子へのメッセージ」というコーナーもあった。私はそこに何が書いてあるのか全く記憶がなかったので、初めて見る気持ちで読み始めた。

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一生の中で一番輝く時があるとすれば、青春の扉を開けた今頃なのかなと思う。子供でもなく、大人でもなく、知っている事と、知りたい事がいつの間にか増えた3年間。緩やかに、時には激しいほど足早に過ぎていった3年間。

多感で敏感で、壊れてしまいそうで、それでいて反抗的な娘は、それはそれは扱いづらかった。お互いに、心の中ではわかり合えなくて、気持ちも伝わらなくて、マグマのようにフツフツとしたこともあった。沈黙を破って爆発したこともあったけれど、それはすべて大人になるために歩く道だったんだよね。

親がもっと余裕のある豊かな心で、まるで孫を思うように我が子を見ることができたらそんなにぶつかり合うことはないのかもしれない。でも、親は親で、その日その時、一生懸命に子供のためにと両足でふんばっているものなのだ。そう、いつかはわかってもらえると信じて頑張っている。本当は、うるさないなと思われていることも知っているし、ほっといて欲しいのもわかっている。でも、まだ、そういうわけにはいかない。黙っていても、親の元から巣立つ時が、いつかは来るもの。その日までお互いきっと、頑張るんだろう。

今は、友達が一番大切で、友達といる時がそれはもう楽しいんだろうから、恵まれた青春を過ごしていると思う。一人じゃ楽しくないから、支えてくれる友達、笑いあう友達をこれからも大切にして、扉を開けたばかりの青春を傷つきながらも強く歩いていって欲しい。険しい道に、しっかりと足跡を残して、突き進んで欲しい。

母より

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これを読んだ瞬間に、ボロボロと泣いてしまった。

私が中学の時にこんな言葉を残してくれていたなんて、すっかり忘れていた。当時これを見てどう思ったのかは正直忘れた。でも、約18年後、自分も親になってから読んだ今、ずっしりと重く心に響いた。※頭の中のBGM:kiroroの「未来へ」


母が心の中でこんな風に悩み、葛藤を抱えていたことなんて当時はまっっっったく想像ができなかった。母というのは母という生き物であり、それ以前に一人の人間であることをあまり考えていなかった。

今思えば、中学生ならもう少し親の気持ちも考えられるだろうよ・・・と思うけど、本当に当時の私には、母は母親でしかなかったのだ。本音で話すのが恥ずかしくて、素直になれなかった。(その優しさを~時には嫌がり~ 離れた~母へ素直にな~れず~by kiroro)

でも。

当たり前だけど、ちゃんと感情があって、悩んで、私のことを考えてくれていた。そして、一文のとおり親元を巣立って自分にもこどもができてからやっと、私は親の気持ちに気づくことができた。

母は母でしかないという思い込みが変わった瞬間だった。

今まさに私は、同じ気持ちで悩んでいる。息子は最近(というかずっと?笑)とにかく言うことをきかない。いつかわかってもらえると信じて叱っているけど、全然響いていない。もはや叱ることでますます反抗的に育ってしまうのではないのかと思うほど。

そんなに怒ってばかりではかわいそうだとわかっていても、ふざけた態度やワガママ、片付けや歯磨きなど何回言ってもすぐやらないことに、最初は穏やかに注意してもだんだん眉間にシワがより、最終的には怒り、またやってしまったと自己嫌悪になる・・・その繰り返しだ。

もちろん褒めることもあるし、今日はいい感じに1日を終えられたんちゃいまっか!?という日も稀にある。

正直子育てがしんどいというよりは、「叱ってばかりの自分」を感じるのがしんどい。

独身の頃、私は人に対してあまり怒ったりイラついたりしないタイプで、温厚で穏やかに生きてきた(と自負している)。

それなのに今はブチ切れることもガミガミすることも多く、穏やかだった自分はどこ・・こんな自分は自分じゃない・・私以外私じゃないの・・(それはゲスの極み乙女)と思うのだ。

もっと温厚な性格だったはずなのに、人格が変わってしまった自分を感じて嫌気がさす。=しんどい。

そして夜寝た後にすやすや眠る寝顔を見ながら、“ごめんね、明日はもっと優しくするからね”と反省する。(結局次の日も怒りのボーダーラインを越えてしまうのだけど。)その無限ループ。

息子のことが大好きで大切なのに、どうしてこんなにイライラしてしまうんだろう。これはいつまで続くんだろう。理想の母親像とは程遠い。そもそも理想ってなんだろう。どうして君を好きになってしまたんだろう(それは東方神起)(懐)


あれこれ考えたって、見放すわけにはいかないから、踏ん張っている。どんなに疲れても、しんどいと思っても、途中でやめる選択肢はないわけで。

私がもっと広い心で、余裕をもって、いつもご機嫌な母親でいられたらどんなによかったか。息子に私の愛情が伝わっていなかったらどうしよう。そういうことを何度も何度も考えた。母も私を育てているとき、同じ気持ちだったのかもしれない。そう思うとなんだか泣けた。


こどもを大切に思わない親なんていないよね。

5歳なんて子育て序盤も序盤。まだ始まったばかり。きっとこれからもっともっと、数えきれないくらい悩むだろう。まだまだ一人でお風呂も入れないような可愛い時期ですら、これなんだから、思春期なんてどうなってしまうのか。こわっ。どんと構えておかなければ。

手がかからなくなったとき、寂しく思うのは目に見えている。

赤ちゃんだった頃を今懐かしく思うように、今この瞬間を懐かしく思う未来がくる。昔は常に散らかっていてにぎやかだったのにな・・と、静かになった家を見て懐かしむ未来が必ずくる。だったら今この手がかかる瞬間をもう少しちゃんと味わっておこう。


いろいろ言ったけど。

親がどう思おうが関係ないのが子供というものだ。親の葛藤や悩みなんて知らなくていい。むしろ知ったこっちゃないと思ってくれていい。この先、やりたいことや一生付き合える仲間を見つけて、楽しく人生を歩んでくれたらそれでいい。私もそう生きてきたように。親がそうさせてくれたように。

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(冒頭は私をだっこする母、最後は息子をだっこする母)


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