ひじかけ越しの人生
日曜の午後。
出発した新幹線の車内に、人はまばらだった。
のんびりと通り過ぎる車内販売の声と反対の方を向くと、梅雨の北陸らしいグレーの景色がぼうっと目に映った。細かい雨がにょろにょろと窓を伝う。
静かだ。独りだ。
寂しさがこみあげ、それを誤魔化すように私は手元に視線を落とした。
楽しみにしていた友人との小旅行は、夢のようにあっという間に終わってしまった。
行きは皆一緒だったのに、帰りは自分だけ。
飛行機でさっさと戻ろうと思ったら、ただでさえ数の少ない便が悪天候で遅れていて、地上での移動を余儀なくされた。
たったひとりの旅の帰り道ほど切ないものはないのに、予定よりも大幅に移動時間が長くなってしまった。1時間前に慌てて購入した指定席に滑り込んでからというもの、感傷に浸り放題だ。
持っていた薄いピンク色のカバーのついた文庫本を開き、心を落ち着ける。ガタンゴトン、と小気味良い音を背中に感じていると、少しずつ気持ちも軽くなってきた。
今回のために買った小説は、主人公が旅先での人々との出会いによって成長していく物語だ。
見知らぬ人との奇跡のような一期一会。些細な会話から、心がじんわりとあたたまる。次第に孤独を忘れ、のめり込んでいった。
突然、もわっとした空気と騒がしい物音が車内に流れ込んできた。京都駅に停車したようだ。何人かが暑苦しい空気を纏ったまま、慌ただしく乗り込んでくる。
「隣、いいですか?」
という声に本から顔を上げると、50代くらいの、大柄のサラリーマンが汗を拭きながらこちらを見下ろしていた。
咄嗟に口角を上げ、どうぞ、と言うと、座席を揺らさないようそっと座った。
かすかなタバコと汗のにおいが鼻をつく。私は心の中で顔をしかめた。
サラリーマンは、何やらごそごそと手元の荷物を引っ掻きまわしている。そしてビニール袋に手を突っ込んだまま、また遠慮がちにこちらを振り返って尋ねてきた。
「あのーすみません…ビール、飲んでもいいですか?」
私は面食らった。ビールを飲むのになぜ私に許可を取るのだろう。だが戸惑い顔で見つめてくる彼の様子が面白くなり、思わず私は満面の笑みで返した。
「もちろん、どうぞ!ゆっくり楽しんでください」
すると彼も照れ臭そうに笑う。
「ビールのにおい、嫌いな人もいるもんですから。いやーありがとうございます。
久しぶりなんです」
それはそれは嬉しそうな顔で言うなり、キリン一番搾りのロング缶を開け、ゴクリと喉を鳴らして勢いよく一口飲んだ。
もう一度ビニール袋に大きな手を突っ込むと、次に大きめの柿ピーの袋を開けて、香ばしい香りを漂わせながらポリポリとかじる。
そっと彼の表情を伺うと、疲れと安堵を滲ませて口元を緩めていた。
出張の帰りだろうか。大事な取引でも終えてきたのかもしれない。準備も大変だったのだろう、上手くいくまでは禁酒だったのだ。
仕事を終えてほっと一息ついて、駅の近くでとりあえず蕎麦かカツ丼か何かをかきこんだ。あとのお楽しみは新幹線の中だ。
ようやく我慢していたビールを開け、1人プチ祝賀会というわけだ。帰ったらまた休みなく慌ただしい日々が始まる。日曜の午後の、ほんの小休止。
そこまであれこれと妄想してから、もっと気の利いた一言でもかければよかったと後悔した。
しかし、1人で楽しんでいる彼を邪魔する気にもなれず、私はそっと本の世界へ戻った。
ふと眩しさに目を細めると、いつのまにか雲の隙間から夕陽がこぼれていた。広大な畑は徐々に見えなくなり、オレンジの光に照らされるビル群がそびえ立っている。
いつもの場所まで、あともう少し。
ひとり旅も、わるくないかもしれない。