あの頃は真夜中にラジオの電波が欲しかった
ラジオの電波を探さなくなったのは、いつの頃からだろう。
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TBSアナウンサーの安住さんのアドリブトークが大好きで、今も「日曜天国」を楽しみにしている
2023年の第60回ギャラクシー賞授賞式。ラジオ部門のDJパーソナリティ賞を受賞した安住さんが壇上で話す。そのアドリブか、台本なのか、全てが面白くて、短い動画で先を知っているのに、何度も見てしまう。
👇その動画がコチラ
2023年第60回のギャラクシー賞。『放送批評懇談会60周年記念賞』としてタモリさんが受賞されている。じつはわたしはコチラの動画から、この第60回式典の動画をみつけた。わたしにはこの人!と決めた推しはいないけれど、個人的大好きな有名人(文化人)の2大巨頭の「タモリさん」「安住さん」が受賞しているこの授賞式は個人的に神回、だと、信じている。
一時期、心が荒んだころ、「タモリさん」と「安住さん」のこの壇上でのアドリブ動画を往復していた。実家の母にまで「見てごらん!」と自慢げにいって見せたけれど、よくキレる母があのとき、キレずに一緒にみてくれたなぁ…。(娘の将来が不安で愛想で付き合ってくれたのかもしれない)
👇タモリさんの受賞スピーチ。とっても紳士です。
■radikoがなかった時代
安住さんもスピーチでradikoやポッドキャストにふれているけど。
いつの頃からか、ポッドキャスト、radiko、ネットラジオが普及し「配信」「後追い視聴」が当たり前になった。現在は、わたしもラジオを配信放送で後追いで聞いている。
「ああ、便利になったねぇ…」と思う一方で、10代・20代の頃のラジオとの向き合い方は今より、リアルタイムだったので、はらはらドキドキが入り混じっていた気がする。
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わたしの育った町は、田舎の小さな港町。
勉強をするふりをして、FMラジオに夜な夜なかじりつくのが、ひそかな楽しみだった。
FMラジオの電波は周波数さえ、合わせれば、番組はクリアにすぐ聞こえた。なのに、AMラジオの電波はつかまえにくく、AMラジオのアンテナを片手にもって、勉強机の回転する椅子の上に立ち、天井にかざしたり、窓際ぎりぎりまでのばしたりしてAMラジオの電波の先をさがした。
時には自分がもっている限り、クリアになるのでアンテナと一心同体になった気でラジオの時間を楽しんだ。
夜中のラジオ番組の王道「オールナイトニッポン」はとくに聞きたい番組の1つ。
なのに、なぜか真夜中になると、他の時間帯よりもさらに電波がつかまらず、あの手この手で、アンテナをかざした。
あるとき当時大ファンのGLAYがでるというのだ。北海道のライブまでアルバイト代の全てを使い、北海道の友人と1度だけ行った程の大ファン。
TERUの天然発言をリアルタイムでききたい。TAKUROのツッコミを現在進行形でいっしょにツッコミたい。HISASHIのクールさを夜中にききたい。4人でいると口数の少なく見えるJIROの発言を聞きたい。
なのに…
港町だからなのか。なんなのか。
ラジオ以外の音が入ってくる。
漁船の通信だったり、日本語ではない国の言葉がラジオから流れてきたりした。あわてて、ラジオの周波数を切り替えて何事もなかったふりをする。なんだか、わからない早口の他国の言語が、ぶちぶち切れる音波に乗って、愛用のラジカセから流れ出る恐怖は、ちょっとした恐怖体験だった。恐怖を押しのけて、あのまま聞いて、話していたら、今頃わたしは、バイリンガルにでもなれたのだろうか…。どうでもいい。
いやいや…そういうじゃない。
聞きたいのはGLAYなんだ。
聞きたい、聞かせてほしい。
わたしは回転するイスの上でラジオの電波をさがした。ぶちぶち切れる本放送の音と、ノイズが混じる合うカオスと格闘してその日のオールナイトニッポンが終わってしまった。
冒頭チラッとTAKUROが、しゃべったような気がする。何を話していたのか分からない。
まさに「なんのはなしですか」
駄菓子菓子…(※はじめてつかいます)
子供だった幼き日のわたしはTAKUROだ!と言って、声を聞いて喜んだ。ノイズの中に聞こえたGLAYに心が弾んだ。あの頃から嬉しいことには敏感だった、感受性がよくはたらいてくれてハッピーに過ごせていた、と、思う。
あの頃から、変わらずに活動して30周年を迎えたGLAY。大人になるって不思議なもので。今年に入ってHISASHIがとっても輝いてみえる。昔はボーカルや華のある人に目が言っていたのに、人間らしさのにじみ出ているHISASHIが最近気になって仕方ない。
radikoができたり、スマホでポッドキャストを使うようになった。変わりにラジカセは使わなくなり、電波をあっちこっち、探さなくてよくなったし、どこの言語か分からない言葉を聞くこともなくなった。
便利になって幸せだけど、片手でTAKUROの声をつかまえたあの日の夜中は楽しかった。
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少し年下の夫に、この話をしても「は?何それ。」という。
ちょうどわたしの世代はネットラジオとカジカセラジオの端境期に位置しているのかもしれない。
そして動画、SNSが溢れる世の中で、ラジオを今でもなぜ、時々聞いているのかと言われると。
わたしのどうでもいい雑学の引き出しに「ラジオを聞きながら、料理を作ると脳が活性化する」という雑学がある。理由はさっぱり忘れてしまった。「脳が活性化する」というインパクトだけで脳内雑学スペースに保管し、しばらくはラジオとともに料理をする、を実践してきた。
いまだに脳がとくべつ活性化された気配はない。歌も上手になれた気がしない。ただ、笑い上戸にだけはなれた。
ラジオというワードだけで、いくつか話ができるという特権を手に入れている。これは大切な特権なので、今後も大切にしていこうと思います。
真夜中のラジオ、昼のラジオ、朝のラジオすべての時間帯のラジオは、人を幸せにする周波数をもっていると信じています。
おまけ
(※アメリカ50州覚え歌のその後については、また別途書いていきたいと思います🙏)