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どぶ川育ち

日本で最も汚いとされている川の近くで育った。
浅瀬では生活排水から生まれた汚い泡がブクブクと沸騰したように動いていて、腐った牛乳みたいな匂いがする川だ。
雨が降って水かさが増すと、付近一帯がドブの匂いに包まれる。
そんなだから、幼い頃は親達から、「あの川には絶対に入ったらあかん。あれはウンコより汚い川や。あんなとこ入ったら病気なるで」と口すっぱく言われていた。
小学生の頃の僕達は、「入るな」と言われれば言われるほど、入りたくなった。
好奇心は止められなかった。
ある日、5.6人で水切りをして、はねた回数が一番少なかった人がこの川を泳いで渡る、ということになった。
この頃の僕達は、とにかく刺激が欲しかったのだ。
山と川しかない田舎町で、僕達の好奇心を満たすのは危険と隣り合わせの遊びしか無かった。
結局、一番のお調子者が負けて、罰ゲームをすることになった。
彼は、川岸で服を脱いでパンツ一丁になると、大きく右手を挙げた。
「いきまーす」
大きな声で叫んで、走り出した。
「いけぇぇぇ」
僕達もそれに答えるように叫んだ。
あの頃の僕達の目は、輝きに満ちていたように思う。
まだ、嘘のつき方も知らない頃だった。
彼が勢いよく川にダイブすると、「パンッ」という音がした。
静かな夜の海で魚が跳ねたような、そんな綺麗な音に聞こえた。
「クッセェ。ゲロみたいな匂いするわ」
平泳ぎで進む彼がこちらを見ずに叫んだ。
それを聞いた僕達は腹を抱えて笑った。
1人が、「バタフライ見せてぇ」言うと、彼は綺麗なバタフライをして、そのまま中洲に上がった。
立ち上がったパンツ一丁の彼が、こっちを向いてピースサインをした。
近くの橋の上から、「お前ら危ないやろが、はよ戻らんかい」と知らないおじいさんの咆哮が聞こえて、パンツ一丁の彼は慌てて川に飛び込んだ。
クロールで戻ってきた彼は、とんでもない匂いで、僕達は彼のことを「ウンコ人間3号」と呼んでケタケタ笑った。
なんで3号だったのかはまったく覚えていない。
そんな思い出の河川敷で、僕達は年末に集まって酒を飲む。
当時と比べると、川は綺麗になった。
昔はホームレスの人があちこちにいたけれど、今はもう見かけなくなった。
そして、僕達は大人になった。
あの頃は、ここで未来の話をして、今はここで酒を飲みながら過去の話をしている。
あんなに嫌だった小さなこの町も、結局ここが帰る場所になっている。
「毎年ここで、みんなで飲めたらええなぁ」
1人が言った。
「2、3年にいっぺんでええやろ。どうせ話すことおんなじや。もう味せえへんガムみたいなもんや」
別の1人が返した。
「そんな恥ずかしい例え、よう平気で言えんなぁ」
また別の1人がツッコミを入れると、僕達は笑った。
「よぉし、久々に行くかぁ」
元お調子者が服を脱ぎ始める。
気温は二度、指先が凍るような冷たさだった。
僕達は笑いながらそれを見ていた。
「えっ、誰も止めへんの?ほんまに死ぬかもやで?」
彼が不安そうな顔で振り返った。
「浮き輪は用意しとこか」
誰かが言った。
「そういうことちゃうねん!」
そう言って彼は、パンツ一丁で川に向かって走り出した。
「うぉぉぉぉ」という雄叫びが聞こえる。
少しして、「パチャン」という音が、遠くから小さく聞こえた。










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