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【半分無料】 添い寝をすることの是非。眠れない夜に母のぬくもりに救われた、幼少期の思い出。

※ 一部センシティブな内容になるため、有料設定にしてあります。無料で読める部分も楽しめるかと思うので、気兼ねなく読んでみてください。

感受性の強さというのは両刃の剣である。

感性が豊かで色んな事に気づきクリエイティブな発想ができる一方で、些細な事で驚き、動揺してしまう。

自分で言うのもなんだが私も感受性が豊かな部類の人間で、子どもの頃はそのアンテナが一層敏感だった。

私が思い出せる古い記憶の中には、布団の中で眠れないまま悶々とかんがえたり感じたりした時の記憶が多くある。

ふと、そんな記憶を、同じく布団の中でぐるぐると思考を巡らせている時に思い出した。

そんな話。



初めての一時保育でのお昼寝の記憶

前に母と話をしていて、自分の一番古い記憶の話題になった。私の一番昔の思い出は、まだ小さい時知らない保育園かどこかで他の子どもたちと布団に寝かされてるんだけど寝れなくて、怖くて、一人でじっと寝たふりしてた時の記憶。

母にその記憶に付いて伝えると、あぁ多分それは保育園で一時保育をお願いした時のものだね、と。

子供の頃の私は保育園には通っておらず、3歳の時に幼稚園に入園しました。そして、私はすっかり忘れていたのだけど、幼稚園の入園をする前にほんの2〜3回だけ隣の市の保育園の一時保育に預けられたことがあるらしい。

その時の遊びの記憶はまったくない。ただ、お昼寝の時のさみしい気持ちと、布団が並べられてる場面だけを断片的に覚えてるのだった。

母が言った。「そんな昔のことも覚えてるんだねぇ、さみしい想いをさせたねぇ」ちょっと目が潤んでいた。というのも、この会話をしたのがちょうど私の娘が里帰り先の保育園での一時保育を拒否してた時期だったから。

私は子供の頃は言葉で感情を表現するのがとても苦手だった。表面的には何を考えてるのかよくわからない、ぼーっとして見える子だった。だからその一時保育の経験についても何も話すことはなく、ただ、その後にストレスを発散するかのごとくひたすらにお絵かきやひとり遊びに熱中していたようだった。母だからこそ分かるその微妙な変化で、結局私は一時保育をやめたのだった。私の娘と同じである。

幸いにして、私の娘はそういう言葉下手なところは似ておらず、1歳なりの言葉でちゃんと色んな事を伝えてくれる。嫌なものは嫌と、誰からもわかるように意思表示してくれる。そして今では登園拒否など忘れてしまったかのように、元々通っていた保育園に元気に通っている。

でもだからといって、辛い経験がなくなるわけじゃない。今娘が元気だからといってその経験自体が上書きされて無くなるわけではない。例え今の娘が何事もなく元気に過ごしていたとしても。


初めての泊まり込み合宿の記憶

また少し成長し、小学校1年生の頃、私は姉が入っていたガールスカウトに流れのままに入った。活動自体はとても楽しかったし、ガールスカウトのコンセプトはとても好きだった。入団の時に読んで貰った絵本がまだ記憶に残っているくらい。ワクワクとした気持ちで聞いていた記憶。

でも、私が入った年、同い年の1年生は私以外には誰もいなかった。年上のお姉さんたちはいたけれど、友達は出来なかった。

夏に二泊三日ほどの合宿のようなものがあった。イベントはそれなりに楽しく、手打ちうどん体験のことなどはよく覚えてる。が、私が覚えている範囲でも分かることは、私が上の学年の仔達とは全然交流しておらず、スタッフの大人の人達とのやりとり以外はただ一人大人しく過ごしていたということ。

そして、それは私にとって、一泊以上もの間家族と離れて過した初めての経験だった。夜も怖くて、寂しかった。その気持ちを和らげてくれる友達もいなかった。

その少し後のこと、お盆休みで帰省をし、家族みんなで布団を並べて寝る時に、その気持ちがふっと湧いてきた。思わず涙が出てきた私は母親にガールスカウトを辞めたいと打ち明けたのだった。


-------ここから有料------


初めて「死にたい」と思った夜の記憶

多分小3の頃。初めて死にたいと思った時の記憶もある。これは少し重たい話。なので、申し訳ないけれどここから先は有料にする。

私は小3の冬に、電車の中で初めて痴漢というものに遭遇した。割とエグめのやつ。

その頃の私はまだ生理も始まっていなかったし、性についてもほとんど何も知らなかった。恋愛感情も性愛の感覚も分からなかった。だから、男の人が子どもの私を性的な目で見てきて、何かしらの加害を行うという可能性すら見えていなかった。

これは全ての子どもの親が心配する悪夢でもあるのかもしれない。でもきっと現実にはたくさん起こっているだろう事なのかとも思う。悲しいことに。

小学3年生の冬頃から、私は幼馴染たちと共に二駅先にある塾に通い始めた。その日も幼馴染たちと3人で電車に乗った。しかしあいにくその日はとても電車が混んでいて、一つ駅を進んだところで新たに入ってきた人たちに押されて小さな私たちは瞬く間に引き離されてしまった。私は一人車両の端っこへと追いやられてしまったのだった。


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