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【英語】反抗期、自立への渇望を留学という選択で果たした話

私の母は、自分のことは自分で決めさせる人だった。

私の1番古い「選択」の記憶といえば、幼稚園に入る前のこと。家からほど近い幼稚園と、場所は遠いけど早期教育に力を入れていて中々面白いプログラムを行っている幼稚園とをそれぞれ見学し、母は私に聞いた。「どっちの幼稚園が良い?自分で考えて決めていいよ。」

幼稚園見学をしにいったのをぼんやりとだけど覚えてる


今思えばその選択は多分に誘導的で実質母が決めたと言っても過言ではない。(※ちなみに、私が選んだのは家から遠い方の幼稚園)しかし、当時の私は自分で選んで決めたのだと信じて疑わなかった。

小さな子どもの頃であれば、そうやって選択肢を事前に決めておいて、あるものの中から選択さるというのは、親としては良い導き方だと思う。小学生のはじめ頃までは、私も素直に親の提示する選択肢の中から自分がやりたいと思うことを選択していたように思う。それで特に不満も無かったし、幸せだった。

ところが、いつからか選択肢自体も自分で見つけて決めていきたいと思うようになった。思春期を迎えて反抗期に差し掛かった頃だったような気がする。自分で全く新しい何かをみつけたいと思い、それを実行したいと思うようになっていった。


私の、私による、私のための初めての「 選択」

反抗期の最初の頃は、ありとあらゆる事を自分で見つけてきては試して、すぐに飽きて…というのを繰り返していた。両親は私がやりたいと言ったことは基本的に挑戦させてくれていたけれど、何度も飽きる私を見てすこし呆れている部分もあったかと思う。しっかり者の姉は、私の様子を見て毎度毎度、続かないことに腹を立てていた。この頃はまだ、自分でも何が本当にやりたいことなのかが良く分からず、暗中摸索をしていたのだと思う。

私にとっての人生初の「ホンモノの選択」を打ち明けた時も、「どうせ本気ではないのだろう」と両親も姉も話半分に聞いていただけだと記憶する。あまりにも突拍子もないことだったから。

あまりにも突拍子もない「ホンモノの選択」…。それは、「留学がしたい」というものだった。

当時の私は英語が大の苦手で、どうにもこうにも文法が理解が出来なかったので母の知り合いに家庭教師をしてもらっていた。その家庭教師の先生というのが、アメリカの大学を卒業した方だったのだ。先生がアメリカでの留学生活の話をしてくれるにつけ、私も同じように海外で留学生活を送ってみたいと思うようになった。

それは、海外への純粋な憧れのようなものもあっただろうし、異文化に対する好奇心でもあった。しかしそれ以上に、今まで当たり前に過ごしていた環境から一人飛び出して、海外の誰も知らないところから生活を始めてみるという体験をしたくてしたくてしょうがなかったのだと今になって思う。

中学2年生のはじめ頃だった。

実現のハードルはなかなか高い

しかしこれを実現させるのは、現実問題なかなかの大変なことだった。まず、大きなお金が動く挑戦であるということ。つぎに、成功に導くためには自分自身もかなりの努力をしなければならないこと。そして、当時通っていた学校の先生からは「留学すれば留年」と言われ、両親からは「留年と留学は同時には出来ない」「留学するなら今の学校を辞めるしかない」と言われたこと。

当時通っていたのは私立の中高一貫校だった。留学したら留年、というのは勉強の遅れを加味した学校側の方針。そしてその間の学費も払い続けないといけないということだった。ただでさえ高い学費、その上に重なる留学費用。その両方を負担することは当時の我が家では難しかった。

私の中では「絶対に留学をする!」というかたい決心があったので、高校は別の学校へ行くのは全然構わないと思った。しかし反対するのは大人たち。父親をはじめとして、中学の先生方も強く反対した。曰く、良い大学への進学を目指しているのであればこのまま同じ学校の高等部へ進学したほうがいいとのこと。それも当然で、同校は結構な進学校であったし、高校受験をしたとて進学先で充分な受験対策をしてくれる保証は全くない。

今、大人になった私が当時の自分を振り返った時に、大人の立場として、「中高一貫校のエスカレーターを降りて、留学に行っておいで」と快く言えるかといったら、多分無理だと思う。自分自身でさえ難しいのだから、当時の周りの大人達はもってのほかである。

私のやる気スイッチは反抗期の自立への渇望

結局、みんなに一通り反対をされた私は「このままでは実現出来ないかもしれない!」と気づいて、意地でも本気度を見せて説得しなければならないと思うようになった。反骨心と、自分の力でなんとか実現してやるという気合とで、私の英語学習に対するやる気スイッチはONになった。

その頃から、昼夜を問わず英語を勉強するようになった。同事に留学の情報や、高校受験情報も調べて、ある程度まとまったら両親にプレゼンをする…ということを繰り返した。英語は中1スタート、ABCを覚える所から始まった初心者の私が、その時ばかりは一念発起して英検の準2級まで合格した。

そうこうしているうちに、母親が私の本気度を汲んで応援してくれるようになった。最終的には母も高校受験の進学先を探してくれたり父親を説得してくれたりして、私は高校受験と留学の許しを得た。実現するにあたって母は言った。「留学頑張っていってらっしゃい。もとをとってから帰ってくるんだよ」貧乏性の母らしい言葉である。

もとをとって帰ってきた留学

かくして、私は高校受験をして英語に力を入れている学校へ入学し、在学中の1年間でニュージーランドへ留学をした。留学中は毎週街の図書館に通い詰めて滞在中に100冊を超える本を読み、学校では数多くのクラブ活動を行って学年を超えた現地の友達をたくさん作った。学校の授業も、より高いレベルのクラスに上げてもらえるよう努力をして、学年末には複数のクラスで優秀生徒として表彰されるまでになった。

母の言う通り、りっぱに「もとをとって」帰って来たのだった。これが、私の最初で最大の、自分自身で考えて実行にうつした「選択」である。

この経験は私にとても大きな変化をもたらしたし、自分でも「あの時留学すると決めて、実現出来てよかった」と思える体験だった。留学中の1年間を経て、私は自分に対する自信を持てるようになったし、同事に謙虚にもなった。自分という存在を、大きすぎず小さすぎず、ちょうどよく、的確に見ることが出来るようになった。

どこからどこまでが自分の本当の選択だったのか

しかし今、私自身人の親になってみて思うこと。それは、留学の選択こそ自分でしたけれど、あの時家庭教師にかかっていなければ…両親が一度反対していなければ…母親賀学校探しや留学準備に協力してくれなければ…なによりも、最終的にOKを出してお金を出し、「元をとってきなさい」と言って送り出してくれなければ…きっこあそこまでは頑張れなかったのではないかなということ。

当時は全く知り得る事など無かったが、最近になって母が教えてくれたのは、あの時我が家の家計はなかなかにギリギリの状態だったということだ。私の留学中に家族みんなでニュージーランドへ遊びに行きたいと当時祖父が提案をしてくれたそうなのだが、家族全員分の旅行費用を捻出することさえ難しかったからその話は流れたらしい。そんな状態でも、私にはその事を告げずに留学を許してくれたのだ。

ニュージーランドへの留学をきっかけとして、私は「英語」という一生物の宝物を手に入れることが出来た。前の記事でも書いたけれど、英語が出来ることで受けた恩恵、救われた事は何度となくある。今の私は英語がなければ実現出来なかったことだらけだ。


もちろん、たった1年の留学だけでは、英語がペラペラになる訳ではない。実際に、留学に行くだけ行って、大して喋れないまま帰ってくる日本人を何人も目にした。しかし、留学をきっかけとして、それを活かしきるために留学前後に全力で勉強すれば、充分に可能だ。


周りを「動かす」ことも含めて、自分の選択の力だと思うことにした

留学の前後含めて、私の選択を認めてくれたこと、そして努力のあと押ししてくれたことを、両親に感謝してもしきれないなと思う。

近い将来私の娘たちがかつての私同じように何かを本気でやってみたいと言った時、私はどのように反応するのだろう?本人の努力を促しつつ、経済的にも精神的にも気持ちよくその挑戦を応援出来るような親に私もなりたいなと思いながらも、今はまだ自信がない自分もいる。

でも、もし仮に娘たちがそのような決意を本気で話してくれて、しかもその熱意を努力によって証明しようとしている姿を見たら、きっとその姿に突き動かされるように私は応援してしまうだろうし、その希望を叶えるために全力でなんとかしようとしてしまうと思う。つまり、親である私は、決意を固めた子どもの姿に「動かされる」のだろうと思う。

そう考えると、中学生の私が本気でやると決めたあの時、きっと家族や周りの人たちを動かすほどのエネルギーが私から生まれたのだろう。それはもしかしたら、「選択する」という行為それ自体がもたらすエネルギーなのかもしれない。


「選択」の力、侮ってはいけない

普段何気なく私たちはありとあらゆる事を選択しながら日々を生きている。朝食べるもの、着るもの、そして仕事。一つ一つの選択は取るに足らないことのように見えるけれど、それを本気で取り組んだらもしかしたらそれだけで、人を突き動かすエネルギーを生み出す可能性を秘めているのかもしれない。

そう考えてみたらなんだか、毎日の取るに足らない事さえも本当は重要な人生の布石に思えてくるし、大きく変わるチャンスというのはそこかしこに転がっているように思えてくる。

さて私は、今日どんな「選択」をするのだろうか?そして、それはこれからの私、それから周りの人たちにどのような変化をもたらすのだろうか?毎朝目が覚めた時、そんなことに思いをめぐらせて1日をスタートしてみよう。

そんな小さな決意もまた、小さくて大きな「選択」の一つになるのかもしれない。

おわり。



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