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子どものプールデビューと、新環境に身を投じることへの気付き
子どもの温水プールデビューは、大泣きだった。
必死にしがみついてくる体温の愛おしさと、水の浮力が心地よかった。
「プールに行こう」
人生で使ってよかったプロダクトBEST3にランクインするレベルで素晴らしいサービス
産後ダイエットに挑戦してきた妻の、サービス利用の最終日であった昨日。「こまーと泳ぎまくったら減るのでは?」と温水プールに行くことに。
僕はかなづちである。一時期スキューバダイビングにハマっていたので、海に遊びに行ったり、海の生き物を見たり、ということは好きなのだけれど、それはボンベによる身の安全が保障されているからだ。
それなので、好んで「泳ぎに行こう!」という案は僕からは出てこない。普段の僕ならめんどうくさがるところなのだけれど、妻にとっても僕にとっても気晴らしになるし、何より子どものプールデビューを一緒に遊べることが魅力的だった。
「いいよ、行こう」
あっけなくそう答えた僕の回答に、「いいの?」ときょとんとした表情をしていた妻。そうか、そんなにいつも何かしら抵抗しているんだなと気付く。
子どもの水着と、プール用のオムツを買う。特別なオムツがあるんだなぁ、これも知らなかったことだなぁ。必要なことをどんどん調べて整えていく妻の推進力、見習いたいなと思う。彼女の実装力、すごい。
頑なにしがみつく子ども
子どもと一緒に着替える。
最近、子どもを立たせながらパンツ型のオムツやズボンをはかせようとすると、自ら足をあげて穴に通してくれる。
特に躾をして覚えてもらったわけではないのに、いつのまにか暮らしに必要なことを学んで身に着けていることに心が動く。
プールはオーソドックスな長方形にラインブイで区切られた「がっつり泳ぐぞ!」という人のための区画と、小さな温泉っぽいスペース、そして幼児用のものがあった。
幼児用プールにはいろとりどりのボールが浮かべられていて、華やかだった。子どもも立てるくらいの水深である。
抱っこしながらゆっくりと水に浸かっていくと…「ぎゃぁああああああ」と叫び始めた。
僕の父や母にお風呂に入れてもらっているとき、とても楽しそうにはしゃぐ声が日々聞こえてくる。シャワーだったり、浴槽の中でのおもちゃ遊びだったり、水遊び自体は割と好きだと思っているのだけれど。新しい環境、広い水辺はやっぱり怖いのかな。
だんだんと慣れていけばいいや、と思いつつ、抱っこをしながら首までつかる。空いた方の腕と足腰をつなぎながら、水の中をスイスイと移動してみる。キョロキョロしたり、顔を肩にうずめたりしながら、たまに泣き止む。でも、立ち止まると泣き始める。そんな繰り返しだった。
あまりにも泣き続けているのを見かねたのか、プールの監視員さんたちが、別のおもちゃをもってきたり、話しかけにきてくれた。気にかけてもらえるのってありがたい。好意むなしく興味を示さなかったけれど。
普段の暮らしで、僕よりも妻に抱っこされたがるので、妻が食事の準備をしているときに「めんどうみてて」とお願いされて抱っこをしてその場を離れてみるのだが、結構暴れる。泣く。
ちょっと悔しいなぁ~、と思いつつ、自由にさせてみると、妻に抱っこされに走っていく。ちょっとどころじゃなく悔しいぞ。
そんな忸怩たる想いで普段を過ごしているので、プールの中でも妻に手渡そうと試みるも、めちゃめちゃ抵抗してきた。
妻に抱っこされても、そこからするりとぬけて僕の方に寄ってこようとする。ちょっと離れた位置にいってみても、怖がってるはずのプールの中を一人で走ってでもこようとする。
珍しいこともあるものだ、と妻と顔を見合わせた。
ボールを持たせてみたり、姿勢をかえてみたり、変な顔で変な声を出して見たり、高速で水の中を移動してみたり。
手を変え品を変え、子どもが楽しんでくれるように工夫をしてみる。次第に慣れてきたのか、自分一人でたちあがったり、ボールを掴んでは投げたりし始めた。一安心だ。
9割の時間は泣き、落ち着いた時間は1割程度だった。
新しい環境に順応するということ
こまーとプールデビュー。9割は僕にガッシリとしがみついて泣いていたのだけれど、1割すくっと立って遊び始めたのを見ながら、「新しい環境に順応していくのって、こういうことなのかもしれないな」って思った。
— まー |居場所で人を自由にするコーチ (@ma_tomarigi) August 31, 2022
お風呂で水辺に日々慣れ親しんでいると思っていたけれど、場所が変われば、サイズが変われば、深さが変われば、それは新しい環境である。
ことに、「水辺」という命の危険をはらむ場所での反応は、根源的なものなのかもしれないな、と思った。
新しい環境は、未知に溢れている。大丈夫だ、安心だ、と思える部分は少ない。子どもにとってそれは僕という存在であり、拠り所にできる居場所だったのだろう。力強くしがみついてくる身体感覚の強さに、生きようとする力を感じた。
怖さの中で泣きながら、安心できる場所にしがみつきながら、色々な環境の変化に触れ、様子を知り、ちょっとずつ目を開けて手を伸ばしながら、落ち着いていく。以外に大丈夫かもしれないぞと、手を伸ばす。
そうして、安心が確認できたとき、普段のような振る舞いができるようになっていく。90分の、たった1割の時間でも、そうやって様子が変わっていく姿を垣間見れたことが、嬉しかった。
これは、大人も変わらないのだろうな、と思う。
新しい職場、新しい学校、新しい居住地。生きてきた時間が長くなるほど、「安心だ」と思える要素は知識や経験として増えているから、最初から泣き叫ぶことはなくなってくるけれど、それでもやっぱり不安は覚えるし、安全地帯に留まりたくなる。
「踏み出しても案外大丈夫だったじゃん、ケガもまた醍醐味じゃん」
冒険心が勝り、好奇心に突き動かされるようになって、段々と勇気の出し方、行動の仕方、順応速度は変わっていくのだろうけれど、「初めて」が重なれば、その分エネルギーは使うし、時間もかかるものなのだろうなと思う。
2021年。独立、子どもの誕生、故郷への引っ越し、再就職。
個人事業主も、父としても、新しい職種・新しい領域としても「一年生だらけ」に出会った僕も、表面的には「わくわくする」「挑戦するぜ」と活力に満ちたように見えていたけれど、心の中は嵐だったのだろう。
これまで生きてきた経験や、学んだこと、たくさんの居場所。そういったものに支えられながら、安心できる場所、リスクをとれるところを見極めながら次々に踏み出してきたけれど、心身が感じていた負担は大きかったのかもしれない。
コーチングを学び始めて、自身の願いを聴けるようになると、次々と変化に出会う。おしとどめていた願いに呼ばれて、北極星に手を引かれていくようにどんどん新しい現実がやってくる。
新しい環境が、次々に飛び込んでくるのだ。
「願いを指針に生きる」ことを選択した方々は、僕と同様に、めまぐるしい環境変化に出会っていることだろう。ようやく掴み、取り戻し始めた自分の人生を、「離してなるもんか!」と握りしめ、激流の中を進んでいくのだろう。
これは、結構ハードな道だ。
エネルギーをめちゃめちゃ使う。心身ともに、疲れ果てることだってある。慣れ親しんできた「安全地帯」から出て、環境に適応しなければ、という課題に、次から次へと応えていくことを求められる。否応なしに。
だからせめて、「ハードな道にいるのだ」、ということを、自分に認めてあげて欲しいな、と思う。プールで泣き叫ぶ子どもを見ていて、そう感じた。結構しんどいことにチャレンジして、頑張っているじゃん。そう、認めてあげて欲しいな、と思った。
僕が、僕にそうしてあげたがっていたように。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。
コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。
そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。
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