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地獄へ堕ちるなんて、軽々しく言うな 歎異抄 第十七条

辺地往生をとぐるひと、つひには地獄におつべしといふこと。この条、なにの証文にみえ候ふぞや。学生だつるひとのなかに、いひいださるることにて候ふなるこそ、あさましく候へ。経論・正教をば、いかやうにみなされて候ふらん。信心かけたる行者は、本願を疑ふによりて、辺地に生じて、疑の罪をつぐのひてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまはり候へ。信心の行者すくなきゆゑに、化土におほくすすめいれられ候ふを、つひにむなしくなるべしと候ふなるこそ、如来に虚妄を申しつけまゐらせられ候ふなれ。

辺地往生

辺地とは、真実報土に対して、化身土と呼ばれる仮の浄土です。この第十七条では化土と書いていらっしゃいます。
辺地については、第十一条、第十六条でも触れられていました。
第十一条では、誓願不思議、名号不思議を信じていないひとが往生するところとして次のように説かれています。

信ぜざれども、辺地懈慢、疑城胎宮にも往生して、果遂の願のゆゑに、つひに報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。

歎異抄 第十一条

これは、無量寿経に説かれる、第十九願、第二十願による浄土です。

(第十九願)
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終る時に臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。

無量寿経

(第二十願)
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。

無量寿経

第十六条では、口では本願を信じると言いつつ、内心は、まさか阿弥陀仏が救ってくださるはずはないと考えているひとについて。

願力を疑ひ、他力をたのみまゐらするこころかけて、辺地の生をうけんこと、もつともなげきおもひたまふべきことなり。

歎異抄 第十六条

唯円さんにとって、親鸞聖人の教えを受け継ぐご同行であれば、直に真実報土へ往生しようとの強い思いを持たれており、辺地への生まれ変わりは、最も嘆かわしいことです。

どこに書いてあるんだ。地獄行きなんて

唯円さんは、決して地獄に堕ちるという警告はおっしゃっいません。
下品下生に当てはめられる、本来、地獄行きを免れない十悪五逆の罪悪人も念仏を称えることで金色の花の中に生まれ変わり、とてつもなく長い間、その花が開くのを待ち、遂には報土への往生を果たすのです。
辺地への往生も、釈尊が説かれたことであり、阿弥陀仏より真実信心を受けとる人があまりにも少ないゆえに、方便として示されたものです。「辺地に生まれたものは、結局、地獄へ堕ちる」とは、釈尊の慈悲を無益にするどころか、嘘、世迷言にするつもりかと唯円さんは断じています。
学者ぶって、いいかげんなことを言うな、
ちゃんと経論を確かめてから言え。
第十二条でもそうですが、学者ぶる人に対して、唯円さんは厳しいですね。

唯円さんが第十七条で遺したかったこと

それにしても、第十一条、第十六条で、辺地について要点はすでに触れられています。学問、学生についても、第十二条で、徹底的に論じられています。なぜ、あらためて、辺地について触れる必要があったのか。
「ついには地獄におつべし」。やはり、この一言の影響を放置してはいられない事情があったものと感じます。
それはおそらく、教団内部だけの問題ではなかったのでしょう。唯円さんは、学生ぶったやつが言い出したんだろうと仄めかされていますが、教団外部からの揺さぶりに困惑しているご同行に、危機感を持たれたのではないでしょうか。
第二条で、親鸞聖人は、「念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもつて存知せざるなり」とおっしゃっていますが、その背景には、関東で当時辻説法されていた日蓮聖人の影響があったと思われます。その当時の経験もあり、唯円さんとしては、異義としてはっきりさせておこうと書き残されたのでしょう。念仏を称える者は地獄へは行かない。それを唯円さんは、無量寿経を根拠に第十七条に示された。ご同行の動揺を抑えるために。

苦悩する唯円さん

歎異抄を読んでいると、歎異抄が書かれた当時の真宗の状況は非常に流動的であったと察せられます。
現在、日本の中では最大宗派の浄土真宗ですが、おそらく鎌倉から室町中期にかけては、今とは隔絶の状況だったのでしょう。
法然門下の浄土宗も、法然聖人亡き後、複数の派に分裂する中、親鸞聖人の後を継ぐ人たちの一派は有象無象と目されていたに過ぎなかったのではないか。まして、親鸞聖人亡き後、次第にまとまりを失っていったのではないか。弟子や門徒の奪い合いも、他宗だけでなく、同じ法然門下や親鸞聖人から教えを受けた人たち同士でも起こっていたのでしょう。朝廷や幕府からの弾圧や暴徒による襲撃もあった中、どのように教団としてまとまりを持たせるか、次代へと真宗を引き継いでいくかという重い課題に立ち向かって行かれた唯円さん。
親鸞という中心を失い、その教えも乱れていく中、切羽詰まった、クリティカルな立場で奮闘される姿を歎異抄という書物から映し出されてきます。

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