諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。 ライプニッツのモナド。 大乗起信論の真如の薫習。 ラカンの欲望。 アドラーの共同体感覚。
歎異抄を読んで、蓮如さん以前、覚如さん以前、つまり、宗として浄土真宗が立ち上がる以前の状況に興味をもっています。 しかし、すでに、歎異抄という書物は、教学体系に組み込まれてしまっているのではないか。 とすると、教学以前の真宗を歎異抄に探ろうとするのは極めて困難ではないか。
真宗大谷派 念佛寺 https://youtube.com/@nenbutsuji?si=rYM1iCkCqranKJrM @YouTubeより 松並松五郎語録の味わい。 おすすめ。
三法印とは、諸行無常、諸法無我、寂静涅槃。 歎異抄にも、当然だけど、三法印が働いている。 南無阿弥陀仏
理屈抜きに、ただ聞くということほど、難しいことはない。 たとえば、歎異抄。 AIが拾ってくるような内容で歎異抄がわかったような気になるとしたら、それは間違った読み方。 歎異抄で親鸞聖人がわかったと思ったら、それは嘘。 自身の肌感、体感を伴ってこそ了解。
歎異抄講話、廣瀬に、「曽我量深先生の話は難しい」とあり、深くうなづく。そうなんです、難解。なかなか何をおっしゃりたいのかつかみにくい。うんうん唸りながらも、ハッとさせられる言葉に出会う。だから、読むのがやめられなくなる。