しおしおのぱぁ〜ブースカになる前に読む本がある
子供と図書館に立ち寄ってお互い本を選び、一緒に返却にも行きまた本を借りることがいつしか習慣になっていますが、問題が1つあります。読んだ本の内容をほぼ覚えていないのです。
自分が敬愛するpodcastの1つが"ゆる言語学ラジオ"ですが、スピーカーの2人は息を吐くように本の内容を引用することで話を上手く膨らませていて、自分もこんな風に本の内容を引用して話をしたいと感じていました。
そのために2022年から本を読むだけでなく、その中からエモいと感じた文章を抜粋して纏めていこうと思います。
今回借りて読んだ本はこちらでした。
今回noteに書くことになった原因でもある、"読んでも記憶に残ってない"問題と関連してます。
読んだ本の内容を完全に記憶してる人はおらず、読んでない本があっても罪悪感を抱く必要もないという意味だと私は受け取りました。
kindleのsale本を数十冊積読してる自分への救いの言霊でした。
いついつまでに読まないといけないなどと考えるのは不幸だと書かれていました。
全くその通りで、それを停滞という一語に置き換えて且つそれを愛すると表現していたのがエモく感じました。
著者は装幀を生業にされてる方々ですが、長い年月が経った本の魅力に関しては装幀者ではなく時間がその魅力を作っているという意味の文章です。
無生物を主語にして仕事をしているという言い回しは他にも流用しやすいなと思いました。
すべての境界線は曖昧であるという意味で使われていました。
波打ち際の境界は視覚的にその瞬間は切り分けできるけど、次の瞬間には移ろいでいるもので、上手く表現した文章ですよね。
文才が際立ち過ぎ。
ブースカって何か分からない自分にとって突拍子もなく出てきたブースカという単語が新しいものに感じました。
どうやら怪獣の名前らしく、しおしおのぱあーという言葉で有名らしい。
この言葉の意味ですが、頭の中が情報量でいっぱいのときにリセットするために読む本があることです。
頭がいっぱいになる→ブースカになる
と著者は例えていて面白い比喩だなと感じました。
"硝子戸の中"は漱石が晩年に出版した作品ですね。
リモートワークで自室に篭りがちのときに、俺今漱石してるとか言うとちょっと話が広がるかなぁと思いました。(病気だと勘違いされないか心配)
電子書籍が世で普及してきたことにより本は必要ないという人も増えてきました。
ただ自分は本の感触やペラペラめくったときの音、裏表紙のデザインやページの空白も好きです。でもそれを上手く表現できませんでした。
この本では"本は料理でいうお皿であり、料理は著者の声である"と例えていて、電子書籍で本を読む行為を"お皿にのっていない料理をそのまま食べているようなもの"とありました(原文ではもうちょい柔らかく言ってる)
賛否は置いておくとして例え方が面白いので列挙しておきます。
1番価値のあるって言い切ってるのがカッコいい。
今は欲しいものが当日中に配送されてくる時代。
しかしそれではそのものに対する期待や妄想する時間が削られ趣がないのではないか?という問題提起だと感じました。
これ現代人が抱えるゆとりが無い問題に繋がってると思い、案外深い言葉だと感じた次第です。
2冊目は何を借りることになるのか、明日行く図書館でどんな出会いがあるのか今から楽しみです。
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