2022年が、最高で自由になるために「手に入れたい必須スキル」
絶望は希望へのフラグ
思い返せば2020年の3月コロナにより突然世界が「非日常」へとなったわけで、あれからもうすでに2回目の新年を迎えました。
いまだに海外に行けない世界はどことなくモノクロームのような物悲しさがあるものの、そんな中でも人は「いかに豊かに人生を過ごすか」を自然と考えるもの。だから小さくとも自分なりに挑戦をして少しでも前に進もうとする。
2020年はとにかく激動の年で、2021年にかけてたくさんのトライアンドエラーに立ち向かった。その間には、たくさん騙されもしたし、裏切られもしました。「あっ、ここであの人まで.….…」というようなことも経験した。
人は何かを失い元気がないときに、その隙を狙い騙されやすくなる。これは、免疫力が低下している時に「風邪」に犯されるのと似ている。
そして新しく何かに挑戦をしようとしたときに必ず別れと、新しい出会いがある。これは、デパートでもなんでもフロアを一段上がったり、下がったりすれば、売り場の人も、そこに買い物に来ている客層も変わるのと同じなのかなと思っている。だからあまり気にしても仕方ないのかなと思っている。
さらに失えば失うほどに新しいものが舞い込んでくるのも自然の法則なのだなと改めて思う。お水を飲み干したら、「お水のお代わりいかがですか?」と注ぎに来てくれるように。
最高に自由になれるスキルに出会うまで
2009年から12年弱実業一本で来た私は、とにかくがむしゃらにビジネスに取り組み、社会の課題解決に勤しんでいた(自分なりの大義名分とミッション)しかし、今回のコロナで一つ気が付いたことがあった。それは、バランスであり、表裏であると。何事も一つの側面だけでは、力がかかった時に弱いということである。
例えるなら家の構造のように、どのように力がかかってもお互いが支え合って倒れないようにするために多面体であったほうが良いという。
周りくどい説明になっちゃったけど、やはり「稼ぐ」という点では、実業も一つよりも二つの方が良いし、ふたつより3つの方が良い。一極集中とか、一点集中とか、「二兎追うものは一兎も得ず」とかいうけれども、全然そんなことはないと思う。今はインターネットで時間を効率化できているし、外注だってすることができる。また、レベニューシェアケースで友達とコラボしたりもできる。
要するに、色々と「バイアス」がかかってしまっているんだなと思うのです
また、「稼ぐ」という点で、私は完全に昭和な考えで「労働こそ美徳」という考えが如何にもこうにも骨身に染み付いている感覚がありましたが、それも2020年の新しい取り組みを境に変わりました。
とにかく「稼ぐ力」とは「稼ぐことをする力」つまり「本質を見抜く思考」にあるという結論に辿り着きました。
まず「圧倒的に稼げること」それは「投資」に他なりません。またこの投資は「個人トレード」この一択。トレードとは、為替であったり株であったりを売ったり買ったりするあれです。
トレードというのはギャンブルでもなく、怪しいものでもなく、間違いなく「スキル」の一つです。プログラムスキル、動画編集スキル、撮影スキル、コーチングスキル、語学力、簿記、これらと同じように「スキル」に他なりません。
ただ、このトレードはとってもとっつきづらく、難しいのは事実ですが、英語が喋れるようになるのと同じような工程を踏んでいくという点では私はとても取り掛かりやすいものでした。
この投資(トレード)を始めてからというもの概念が少しづつ変わっていきました。もしも、フィリピンの南国で教育の実業をやる傍らで、トレードで「稼ぐ」ことをしていたら、きっとビジネスで焦ることや、心配すること、心が揺れること。は一切なかっただろうな。
むしろ、人生が、生活がめちゃくちゃ楽しかっただろうな。と思うのです。
つまりここで一つ私が出した答えは、純粋に本気で取り組みたい仕事があるのならば、その反面で「稼ぐ」別のものを持っておくと良いということ。
純粋に取り組みたい本当に熱中することは、経済的な心配で揺らぐことがないようにした方が良いということなのです。
人の悩みの9割は正直経済から生まれていると思います。仕事も人間関係も「お金」という呪縛に縛られている部分があります。しかしこれが切り離されたらどうでしょうか。
嫌な仕事は断る。嫌な人間関係の維持はしない。
という選択をすることができます。この選択をすることできる。という余裕があればきっと心は寛容でちょっとやそっとのことでは揺らがない強い自分が存在すると思うのです。
またちょこちょこと更新をしていこうと思います。
大人のためのお金の学びができる「セカイ大学〜マネー学部〜」を開校しました。誰でも無料で入学ができます^^
いいな、役に立ったよ!という方は是非ともコメントやいいねを押してください^^