石岡瑛子回顧展@北九州市立美術館(磯崎新設計)
デザイン(石岡瑛子展)(敬称略・長文失礼します)
北九州市立美術館で開催中の石岡瑛子展へ行って来ました。昭和世代でデザインをやっていた人なら誰もが知っている著名なアートディレクターで、1938年生まれで2012年に73歳で死去、今回は回顧展になります。それと同時に1974年開館で、来年50周年を迎える磯崎新設計の同美術館へも何十か年ぶりに訪れることにしました。
今回は博多駅から快速電車に乗って戸畑駅で降り、バスで美術館へと向かいます。美術館は高台にあるので近づくにつれて高揚感が増していく気がしますが、こんな高台にあったのかとも思ってしまいました。
バス停を降りて、エスカレーターで入口まで上がりますが、やはり50年近くもなると建物の劣化は否めません。エスカレーター登り口上部の梁は、下部のコンクリートが剥がれて、鉄筋が剝き出しになっていました。
エスカレーターを昇って正面入口を入ると、エントランスの大きな吹抜空間が広がります。内部はメンテナンスが行き届いているのか、目立った劣化はありません。展示会場は左側で、両側を赤のセロハンで彩られたアプローチを歩くと、正面奥に石岡瑛子の全身写真が迎えてくれます。
東京芸大のデザイン科を卒業した彼女は資生堂に入社、宣伝部で石鹸のHONEY CAKE(ホネケーキ)や前田美波里を使った化粧品のポスターを手掛けます。当時資生堂とサントリーの宣伝部はデザイン関係者の間では特に有名で、個人的には建築科の学生だった頃、資生堂の雑誌「花椿」が好きで、毎月デパートの化粧品売り場でこっそり取っていましたが、その後は当時付き合っていた女の子に取りにいってもらった記憶があります。
資生堂退社後はフリーとして独立し、パルコの広告を多く手掛けることになります。パルコも当時は流行の最先端の企業で、その広告は紙媒体だけでなくCMも関係者だけでなく世間の注目を集めるものでした。
その後東急百貨店や角川書店の雑誌「野生時代」などのデザインも担当しますが、第2会場では、その他の様々な作品が展示されています。ブックデザインからレコードのジャケットデザイン、映画のポスター(ヴィスコンティの「イノセント」や、コッポラの「地獄の黙示録」)、さらには学校の教科書までもブックデザインのコーナーにありました。
中でも興味深かったのは、赤ペンが入ったポスターの校正刷りや、原稿用紙のQ数指定(文字の大きさで、今のフォントのようなもの)で、かつて編集の仕事をしていた自分にとっても懐かしいものでした。
年譜を見ると、戦前生まれの彼女は高度経済成長期に資生堂に入社し、その後数々の賞を受賞して、その活動範囲を広告に留まらない領域へと拡大していきます。確実にデザインの世界で1つの時代を創ったクリエイターであり、女性であったと思います。
回顧展を観終わった後は館内を散策、エントランスホールの階段を上がって吹抜の空間や、様々なディテール(細部)も見て回りましたが、当時としては最先端のディテールデザインも、今ではシンプルな印象さえ受けました。
この頃の磯崎は同じ北九州市立図書館と共に、○△□理論の具現化を実践していた頃であり、巨大な四角のキャンティレバーが突き出たこの建物も、その代表作の1つと言えます。その後ポストモダンのつくばセンタービルを設計する訳ですが、インタビュー集の中で
「安藤忠雄やリチャード・マイヤーは、ひとつのことをやっているだけだが、都市は変化しているので、フォローしない限りしようがない。」つまり都市に呼応するように、建築にも変化が必要であると説いています。
安藤が感性のデザインであるならば、磯崎は知性と論理のデザインであると、この美術館を再度見学して改めて感じました。