世界のTANGEの論文集「丹下健三建築論集」
本(丹下健三建築論集)
世界のTANGEといわれた建築家丹下健三(以下敬称略)の建築論集です。戦後建築界を牽引したトップ建築家の建築論で、建築家の文章は難解だとよく評されますが、筆者が若干26歳の時に書いた最初の「ミケランジェロ頌」はさすがに読みながら難解だと思いながらも、その他の論文は勿論平易な文章ではありませんが、難解な印象でもなくきわめて理論的に主張が述べられていたと思います。
個人的には自分が建築学科の学生だった頃、スーパースターとして脚光を浴びた丹下の弟子だった磯崎新の文章を読む機会多く、磯崎の文章の方が難解ながらも骨のある文章だったように記憶しています。
磯崎の文章でたびたび登場する言葉に、アンビギュイティ(両義性)や弁証法がありましたが、弁証法では2つの相反する概念が存在しながらも、その上位概念で融合していくというもので、建築の手法においても様々な場面で適用されている概念であり手法でもあります。
今回丹下の文章を読みながらもこの弁証法的な思考がたびたび登場します。最初は近代建築における伝統との関係があり、近代的なものと伝統的なものの交錯の中から、建築家の実践がその表現を創造していくと書いています。
他にも社会と建築家の対立、建築の外部と内部の関係、民衆と建築家の葛藤などで、常に社会との接点を求められる建築物を創造する建築家の苦悩と創造の醍醐味が、毎回葛藤としてあるとしています。磯崎の弁証法論もまさに師匠の影響のもとでの見解であると思います。
また日本の近代社会には、ヨーロッパのように建築家を成熟させるだけの社会的基盤の市民社会が成立していなかったこと。さらに日本の建築教育制度(「この未分化な変態的な制度」との表現!)は、大学の建築学科さえも、建築家になるための建築設計の他に、建築施工や建築調査・研究などが未分化で混在しており、外国のように細分化されていないために建築家の職分意識の成熟を妨げたと糾弾しています。
丹下の言葉として有名なのは「美しきもののみ機能的である」というものですが、美しきもの(表現・デザイン)と機能性との融合や統一は、近代建築永遠のテーマでもあり、コルビュジエの「住宅は住むための機械である」やミースの「Less is More(レス イズ モア)」などにも美と機能との統一への葛藤が述べられています。
世界的な巨匠の建築に対する原点を改めて見る想いでした。