おふくろの味とは⁉️その実態と幻想に迫った本(「おふくろの味」幻想)
本(「おふくろの味」幻想)
おふくろの味として継承されてきた、その味の実態と幻想を分析した本です。筆者の湯澤規子さんは、筑波大学大学院を経て現在は法政大学の教授であり、専門は歴史地理学、農村社会学、地域経済学です。
新聞の書評欄で見つけたと思いますが、私も料理は好きな方なので買って読んでみました。
ちなみに「おふくろの味」とは何なのか?本の帯には「なぜ私たちは肉じゃがにほっとしてしまうのか?」と書いてあります。
書籍などのデータから、おふくろの味の定義の拠り所となるのは「ふるさと」「郷土」「家庭」であり、次に具体的な料理はというと、煮物(肉じゃがも含む)とみそ汁、お惣菜(勿論スーパーマーケットで売っているそれではない家庭で作ったもの)、保存食、漬物が挙げられます。さらに作り方は手作りで、素材を生かしたものが基本となります。
またおふくろの味が大切にしているものとして「親と子」「季節」「旬」があり、そのイメージとしては「懐かしい」「定番」「和風」があります。
戦後の高度成長期に都市部での地方出身者が、ふるさとへの郷愁におふくろの味をオーバーラップさせたように、地方の農村部でも、戦後の画一化された食生活からの脱皮にふるさとの味をおふくろの味として、地方の特産品を売り出していった経過がありました。
そして1970年代、一億総中流社会といわれた頃には核家族が主流となり、おふくろの味は家庭の味へと舞台を移していきます。
これは第4章での指摘であり、タイトルは「家族がおふくろの味に囚われる」というもので、男性が郷愁に浸るおふくろの味は、逆に女性にとっては呪縛の味であり、男性とは理解し合えない永遠の溝(味)ともいえるものです。
妻が作った煮物を夫が美味しそうに食べても、「おふくろの味」とは違う、やはり「おふくろの味」が1番なんだという会話に凝縮される実体のない味の正体。これこそが「おふくろの味」の客観的で具体性のない実態だと述べています。
現実社会でのそうした葛藤を経て、もはや神話としての「おふくろの味」が誕生したと筆者は分析しています。マーケティングに基づくメディアにおけるおふくろの味への挑発と攪乱も1章を割いて1970年代以前から2000年代まで時系列に分析しています。
結論として、結局「おふくろの味」とは具体的に何を指すのか、読み終えても釈然としませんでしたが、筆者も明確な結論を導くことはできなかった、まさしく「おふくろの味」が幻想でしかなかったという結果だったのではと思います。