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現存するモダニズム建築を厳選した本「日本の近代建築ベスト50」
本(日本の近代建築ベスト50)(一部敬称略)
日本の近代建築における代表的な50作品を選んで紹介した本です。1922年竣工のフランク・ロイド・ライトの自由学園明日館から、2008年の西沢立衛の十和田市現代美術館まで、時系列的に紹介されています。
筆者の小川格さんは大学の建築学科を卒業後、建築雑誌「新建築」の編集者になり、その後建築専門の編集事務所を設立し本書が初の著書となります。
現存するモダニズム建築の代表作品が1作品ごとに見開き4ページで上段に写真、下段に文章の構成で掲載されており、建築ガイド本としては勿論、建築学科を卒業してこの業界に長年いる私のような者にも、改めて読んでみると勉強になる点がいくつもありました。
ただ長年この業界にいる者としては、斜め読みのような建築自体にまつわるエピソードがないかを探しながら読んでいきました。まあ別の見方をすればワイドショー的なネタの発見とも言えるものですが、そのいくかを挙げてみますと
・近代建築の巨匠ル・コルビュジエには日本人の弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の3人がいたが、前者2人と吉阪とでは、師匠のコルビュジエのデザインが違っていた。初期の近代建築の5原則重視と違い、のちに作風が変わっていった。
・丹下健三と大江宏は東大建築学科の同級生でライバルだったが、コンクリート造と木造との調和に違いがあった。丹下がコンクリートで木造のような表現をしたのに対し、大江はそれぞれ別々に表現して併存させた。
・広島の世界記念聖堂はコンペが行われたが、1等なしの2等に井上一典と丹下健三だったため、審査員の村野藤吾が設計を進めた。
・象設計集団の富田玲子は、当初丹下健三のもとで代々木競技場の貴賓室の設計に携わっていたが丹下に理解されず、吉阪隆正の門をたたき、そこで仲間と象設計集団を設立した。
・谷口吉郎・吉生は、建築界では珍しい親子で著名な建築家になった。ただ谷口吉生も父親への反発から当初は慶応大学の機械工学科へ進学するが、清家清のアドバイスでハーバード大学の建築学科へと入学した。
・磯崎新は実業家だった父の関係で、学生の頃から知り合いの地元大分の旦那衆(パトロン)からの仕事の斡旋があり、パトロンに恵まれた建築家だった。
他にもいろいろありましたが、建築作品だけでなくこうした作品にまつわるエピソードを加えることも、より作品に対する興味が増えるものだと実感しました。