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「好く力」とは⁉️コラムニスト酒井順子さんの新刊本「消費される階段」

本(消費される階段)(長文失礼します)

コラムニスト酒井順子さんの新刊本です。私がこの本を知ったのは新聞の夕刊で、記事を読んで面白そうなので、買って読んでみることにしました。中年女性の未婚の本音を綴った「負け犬の遠吠え」がベストセラーとなった筆者ですが、正直これまでその著書を読んだことがありませんでした。

女性の本音を日常目線で書くコラムは、やはり性と世代が違う自分にとって、共感する事項が見当たらなかったというのがその理由だったかもしれません。

1966年生まれの筆者は今年58歳になり、自己の人生を振り返りながらアラカン世代として、本書で率直な心境を述べています。
インターネットの急速な普及や価値観の多様化、さらにコンプライアンスの周知徹底など、この数十年で社会生活が激変し、以前は普通の感覚で黙認されていた差別や各種ハラスメントなどが、今や明確に厳罰や規制の対象となります。こうした時代背景が、このコラム集の前提となっています。

日本は太平洋戦争後に華族制度が廃止されて、国民は平等であると憲法に明記されましたが、筆者に依れば表面的な差別は無くなっても、内なる差別が内部に蓄積されて、それは現代でも脈々と息づいているといいます。それは経済的な格差などとは別の次元の意識であり、その延長上にある外なる差別として上位に存在するのが皇室となります。それが市井の人間たちの格好の興味の対象になっているのは、女性週刊誌を見れば明らかだと述べています。

それは「姫になりたい女の子、姫として生まれた女の子」という文章でも、別の視点からの見解を述べています。ちなみにタイトルの前者は紀子さまであり、後者が眞子さん、佳子さまを指しています。

また「好く力」という言葉が登場しますが、これは「好きになる力」であり、相手から愛されたいとか、相手から何らかの代償を求めたいという感情とは真逆のものであり、それは「推し」に通じるものかもしれません。
そうした相手がどのように思うかは構わない、関係なく自分自身の「好く力」を高めていく、いわば多幸感な自己完結型の愛情表現であり、これは「オタク」がその先行例であったと述べています。こうした愛情表現も価値観が多様化した現代では、今日的な現象の1つではないかと結論づけています。

筆者の視点は「東大礼賛と低学歴信仰」など、社会を覆う現象と、それが内包する真意を並列させながら、どのように折り合いをつけていくのか、自分なりの手がかりを示すものであり、決して結論を急ぐものではありません。

日常目線とは、市井の人々と同じ高さの目線で物事を見ることであり、テンパることなく偽らざる心境を語ることで、多くの女性を中心にした支持を受け続けてきたと思います。こうした姿勢は、時代を漂いながらも流されることなく、50歳を過ぎた今日でもコラムニストとして、活躍できているのではないかと感じました。

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