倫理が資本主義の改善策となる⁉️「倫理資本主義の時代」
本(倫理資本主義の時代)(長文失礼します)
「哲学界のロックスター」と呼ばれるマルクス・ガブリエル著の新書です。私がこの本を知ったのは新聞の書評欄ではなく文化欄での特集記事であり、環境破壊や経済格差、さらに貧困などの諸問題を抱える現代の資本主義を、哲学の一分野である倫理により改善していこうとする考察と提案の本です。
私がこの本のタイトルを見て最初に思い出したのが、本書を監修し、文中にもその名前が登場する斎藤幸平氏の「人新世の「資本論」」でした。斎藤氏の場合は、行き詰った資本主義の次の段階として「脱成長コミュニズム」の経済社会を提唱しています。
今回の提唱はその真逆で、資本主義の経済システムを継続しながら、そこに社会的道徳である倫理を加味することにより、資本主義の改善を図ろうとする試みです。
斎藤氏の主張は、SDGsに代表される一連の経済環境活動は、経済的価値(利益)と道徳的価値(倫理)とは利益を追求する資本主義システムでは、結果的にデカップリングに陥ってしまうといもので、これが「SDGsは大衆のアヘンである」という文言に集約されています。
ただ本書の筆者が指摘するように、資本主義システムの代替が存在しないというのは、私も斎藤氏の「脱成長コミュニズム」の具体的なイメージが、読了後も思い浮かばなかったというのが正直な感想でした。
本書では、経済的価値と道徳的価値の他にも存在する二項対立、人間と自然、個人と社会の意識、自由と社会、市場と国家などをリカップリングすることで、その対立軸に中間点があることを示すものとし、それは「啓蒙された弁証法の実践」と説明しています。
弁証法の次元になれば、どのように実社会に反映していくかが課題となりますが、筆者の具体的な提案は、先ず全ての会社に倫理部門の設置を義務づけることで、その指揮は最高哲学責任者(CPO)が執ることになります。経済的価値と道徳的価値の結合となりますが、そうなると今以上にコンプライアンスとガバナンス体制の強化が必要となり、倫理部門が十分な活動できるかは、大きな課題になる可能性があります。
他にもSDGsの推進や、飛行機や巨大クルーザーに替わる飛行船や客船、菜食主義やヴィーガンの推薦など様々な提唱がなされています。
筆者が提唱する「エコ・ソーシャル・リベラリズム」とは、倫理資本主義の倫理的・政治的な価値の枠組みであり、人間が他の動物との共生と協調、さらに社会と自然の相互の結びつきを再認識する概念でもあります。
さらに「形而上学的パンデミック」の概念では、消費社会が自らの脅威となる事実は、私たちの欲望を再構築する必要があると指摘しています。道徳的価値の観点から私たちの消費欲望の抑制と倹約も、必要不可欠になると説いています。
倫理資本主義は、脱成長コミュニズムよりは具体性があると思いますが、経済的価値と道徳的価値の融合の実践は、予想以上のハードルの高さがあるのでは危惧しています。ただ逆にそうでないと、存続できない企業を育成する社会形成(価値観の変換や多様化など)の必要性があると改めて認識しました。