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打ち破る! 広島と福岡 男性アイドル

今までも何度か記載しましたが1984年春の某チャート誌、とある男性からの投稿文。

「待ちに待った春の到来とともに、2組のフレッシュなアイドルが芽生えてきましたね。僕をノックアウトした男性ーそう、チェッカーズのフミヤ君と吉川君。なぜ彼等がこうまでも魅力的なのでしょう。まず彼らのルックスとキャラクターが、これまでの男性アイドル ⇔ 女性ファンといった関係をうちやぶり、普段着の男の子として売りだしたところです。」   Oricon 1984

晃司クンの登場は私にとって衝撃でした。と、何度も書いてごめんなさい。ガタイの良さとやたらに甘くないマスク、元アスリートという経歴。ジャニーズに全く興味がなかった私にとって「これぞオトコ」って感じがして、初めて引き付けられた存在でした。

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サンフランシスコでCM撮影 shueisha 1984

投稿では晃司クンと郁弥クンの魅力として「男性アイドル ⇔ 女性ファンといった関係をうちやぶり」とあります。そう、打ち破る存在だったんですよね、彼らは。ジャニーズのようにひたすら女性票の獲得を狙ったそれまでの男性アイドルとは違い、「俺もこうなりたい」と思わせるようなルックスと立ち居振る舞いで世の男の子たちの視線を引き付けたのです。歌も上手いし。男性が聴いてもオッケーな空気を生み出したボーカルでした。

打ち破ったと言えばもうひとりの広島男、慎吾ちゃん。「男が踊るって、ちょっとね…」という昭和の標準男子の抵抗感を打ち破り、「わぁ! こんな踊りがあるんだ、真似したい」と思わせるような等身大のカッコ良さを日本中の男の子に見せつけました。

慎吾ちゃん海の青 小

沖縄でブレイクダンス shueisha 1984

「もうひとつつけ加えるならば、チェッカーズに吉川君、どちらも地方から上京して、めいっぱい頑張っているといった純真さ(田舎性?)がにじみでていて、気持ちイイのです。」 

晃司東京

“広島から泳いで来たんじゃ” shueisha  1984

地方出身者にとって東京は戦いの地。福岡から広島から、仕事や高校を辞めて勝負をしにはるばる都にやって来た。慎吾ちゃんもブレイクダンスで勝負に出た。それまで首都圏出身タレントが振付けにちらほらそれっぽい振りを入れていたけど、それで勝負には出ていなかった。そこに慎吾ちゃんが楽曲プロデュースまでして、大学通学を断念してまで、賭けに出たわけです。

日本にブレイクダンスを広めたのは間違いなく慎吾ちゃん。彼は日本のほとんどが田舎だということを知っていました。東京の人は日本を知らない。東京の若者が日本の若者と思っている。東京で流行っていれば日本で流行っていると思い込んでいる。県庁所在地や鉄道の駅があるところだけを地方だと思っている。田舎の暮らしの実際など、彼らの意識にさえ及ばない。でも、そんな地域が全土にある。だから慎吾ちゃんはテレビを通じてできるだけ多くの人に「アッ、慎吾が何か変わったことをやってるぞ」と思ってもらうことを目指し、そのことで日本中の子どもたちにダンスの楽しさを伝えようとしました。

以下、九州の片隅に住んでいた当時中学生のとある男性の言。

「ダンスなんか、踊れるわけがないのよ。ないんだから、なかったんだから、小さい頃。」
― ああ、ダンス文化はなかったんですね? 先生の時代。
「なかった。もう、かろうじて風見慎吾さんが『涙のtake a chance』で、もう本当に。」「一人だけ、孤軍奮闘していたイメージが。」
主流じゃなかったってことですね、ダンスがね。
「そう、まったく。」「踊ってる人なんか、まぁ見たことなかったよ。」
博多大吉 TBSラジオ「たまむすび」抜粋 2017年5月3日

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一人だけ、孤軍奮闘 shueisha 1985

田舎といえばトシちゃんが「僕みたいな地方出身者でも」とか「地方出身をばかにしないで」などとアイドル雑誌で言っていましたが、いやいやいや、甲府は首都圏じゃないですか。日帰りで都心に行けるじゃないですか。それは全国観点では東京の人。十分都会。それを地方だ田舎だと言わないで。

と言っても、広島も西日本では大都市。慎吾ちゃんも晃司クンもデビュー時にいかに田舎かを語っていたけど、市内なら都会じゃろーがね! 映画館もディスコもあるんじゃし。新幹線も停まるし、プロの球団だってあらーね。

久留米も田舎だけど、九州では結構なまち。タイヤ産業など経済的に豊かで人口も30万近くの規模。そんな地方都市、西日本ではなかなかないです。

広島の男じゃけぇ
九州男児やけん

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はがきによるベストテン  TBS  1985

☆彡

2018年の日本シリーズは「広島vs福岡」。30年前はそんな日が来るなんて考えられもしませんでした。お互い暗黒時代を経て、福岡は急成長し今や無敵の王者に。広島は後れをとった感がありますが、それでも2016年の四半世紀ぶりの優勝は福岡をも凌ぐ盛り上がりでした。それまでの常識を打ち破り、東京集権の壁をも打ち破って、西の地方都市の底力を日本中へ! 昭和時代も令和の今も

「当初、ジョー・ルーツ監督が導入した赤い帽子とヘルメットには違和感がありました。初めて見たときには、これはえらいことになった……と思いましたよ(笑)。僕らの世代では、赤い帽子というのは小学校の運動会でかぶるくらいで、ことに野球をやる人間は帽子といえば黒か紺、白くらい。赤というのは、男が身につける色じゃないと思っていました。」
「広島カープ、優勝へ着々。1975年の初優勝を衣笠祥雄が回想する」  抜粋 
文: 楊順行 Yahoo ニュース 2016年9月1日

「王監督2年目の1996年5月。大阪・日生球場の近鉄戦。ファンの怒りは頂点に達し、試合後、帰りのバスを待ち構える。バスは大勢のファンが取り囲んで出られない。この日も敗れ開幕から9勝22敗となると、怒ったファンが引き揚げるチームを待ち構える。選手が乗車するとフロントガラスに向かって投げられたのは生卵だった。」  
「ホークスの転換期   生卵事件の一部始終」  抜粋  文: 今浪浩三
日刊スポーツ 2020年5月23日