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ペンギン・ハイウェイ、読了。

森見登美彦さんは、本好きなら一度は読んだことのある作家さんだ。
名前もよく聞く、映像化もされている、大変有名な作家さんである。
しかし、私は一度も読んだことがない。
理由は特にない。なんとなく、手を出さないでいた。
本屋さんに友達と行くと、大抵驚かれ、おすすめされる。
ということで、読んでみることにした。
作家さんから本を選ぶという行為は、ひさびさだったのでなんだか新鮮だった。


手にとってまず驚いたのは、その文体。
もっとかたくるしい文章を書かれる人だと思っていたから、驚いた。
子供の頃の世界を切り取ったような文章はとても読みやすく、一緒に探検してるような気分になる。
ただこの世界の切り取り方があまりにも男の子だったから、新鮮だった。
女性が書いた文章には、こんなにも頻繁に「おっぱい」が出てくることはない、たぶん。

子供の頃の世界を切り取ってるせいもあるのだろうけど、
私はこの世界を見たことはないが、行ったことがある気がしてならない。
宇宙の話題、森の探検、世界の果て、異性の存在、、、。
小学四年生の時期は、ある程度の知識は持っているけれど、世界はまだ謎に溢れていて、わくわくで満ち溢れていた。
その頃に一気に引き戻された気がした。
一人で少し遠くの図書館に行ったときの、大人の目を盗んで行動する高揚感と後ろめたさ。
秘密の道を見つけたときの、自分が大人も知らないような世界を開拓している、あの感覚。
言語化できなかった、あの感覚がすべてこの小説の中にあった。


この小説を読むと、一度は考えることだと思う。
一体、お姉さんとは何者なのか。
結論は人それぞれだと思うけれど、私はそれを「自然」と定義したくなる。

人を人たらしめるのは何か、と問われたら、私はそれを自分の意思だと答える。
この、私の世界を観測しているのも自分だし、世界を定義づけして理解しようとしているのも私だからである。
そして、その世界の中で「お姉さん」と「自然」の立ち位置が一緒なのである。
興味関心の的であり、いつも謎を残す存在であり、静かにただそこにある。
自ら何かを発することはなく、観測の対象。
そして、どこか自分の味方な気がする。
子供の頃、自然は私の友達だった。
いつでも会いたいときに会いに行ける、いつでも相談に乗ってくれる、素敵な日常をくれる、そんな最高の友達。
その印象と、どこかお姉さんが重なるのである。


森見登美彦さんの作品を今まで読んでいなかったことが悔やまれるくらい、大変に面白かった。
読まず嫌いはよくない。
私がいまだに太宰も芥川も谷崎もまともに読んだことがないのは、やはりよくないなと思う。
読まず嫌い克服の第一歩。
これからは日本の名作とか、話題作とかも、しっかりアンテナを広げよう。

なんだか、今日のブログは総じてふわふわしているのだけれど、まあいいか。そのまま載せます。

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