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微生物の多様性を展示で表現するという挑戦 #02
ライター情報: 櫛田 康晴(くしだ やすはる)
科学コミュニケーター。大学院・研究員時代の専門分野は細胞生物学。本展示の展示ディレクションを担当。
目に見えないものを表現するために
目に見えない微生物の存在を体感でき、微生物と人類が共存する未来イメージを喚起する展示とは、一体どんな姿かたちなのか?
2021年夏。私は回らない頭を掻きむしり、デスクにまた幾ばくかの微生物を振りまきながら、この難題に向かっていた―。
若手の微生物学者であり、本展示のビジョナリーである伊藤光平さんの主張は明快だった。
人体は多様な微生物と触れ合うことで健康が保たれている。
であれば、微生物を敵として排除し、人為的に偏りを生じさせるよりも、むしろ日常で触れ合う微生物の多様性を積極的に増す方が良いだろう。
彼のビジョンを元に展示を作る上で、表現が難しいのはビジョンそのものではなかった。
むしろ「目に見えない」という、微生物という生き物を定義づける性質そのものが一番の障壁だった。
目に見えない存在をどうやって「見える」ようにするか。
まず思い浮かんだのは、キャラクター化するという方法だった。
しかし、あえて明言は避けるが、この方法はすでに国内で有名な成功事例があり、今回の展示で新たに取り組んだところで、今までにない新しい体験を提供することは難しい。
さらに、伊藤さん自身が、今回の展示でこの方法を採用することに疑問を呈していた。微生物はそもそも目には見えない存在であり、展示の中で微生物のキャラクター化をすることが、多様な微生物と共存する暮らしをイメージすることにつながるだろうか。
もっともな主張だった。
実際に微生物を培養したシャーレの実物を展示する方法も検討された。微生物はコロニーを形成すると肉眼でも容易に観察することができる。
しかしここにも問題があった。ほとんどの微生物は培養ができないというのだ(後から知ったが、培養が可能なのはほんの1%ほどらしい)。これでは肝心の「多様性」を表現することができない。
結論として、「目に見えない多様なものたち」をいくつかの手法的なアプローチを組み合わせてそのままのかたちで表現していく、という方針に決まった。
だが言うは易し。それをどう実現するのか。ここで私の身に訪れたのが冒頭の場面である。
それは正解のない自由記述試験の答案用紙の上をふらふらと彷徨う鉛筆のような感覚だった。
たのしい展示はたのしいブレスト会議に宿る?
古今東西、アイディアが生まれて来ないときは「ブレスト」をすることに決まっている。
コロナ禍の在宅勤務の中、オンラインでメンバー同士をつなぎ、インスピレーションのままに画用紙に鉛筆を走らせた。
最終的に展示は4つのチャプターで構成されることが決まった。
この日は、それぞれのチャプターにどのような展示物を配置するかについて互いのアイディアを絞った。
各チャプターにつき15分間でアイディアを紙に書き出し、オンラインで絵を映しながらアイディアを説明する。これを4セット。会議は2時間近くに及んだ。
ここにその時描いたイラストを掲載する。ブレストに時間制限が設けられることで、集中して考えをまとめることができた。我ながら、短時間で良く描けた方だと思う。
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言わずもがなではあるが、同じ制限時間を与えられても、人によって思い描くものはまったく異なる。同僚の科学コミュニケーター、小林さんのイラストを見れば一目でご理解いただけるだろう。ここで私の名誉のために、彼女はプロのイラストレーターであることを申し添えておく。
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イラストから楽し気な雰囲気が伝わってくる。
さて、結局はいずれのアイディアもそのままの形では採用されなかった。実際の展示の風景は未来館公式HPからも眺めることができる。
できれば是非一度、展示フロアで実物をご覧いただきたい。
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トライアンドエラーこそすべて
展示作りに限った話ではないかもしれないが、一人が最初に思いついたアイディアで最後まで形になることはまずない。
そもそも展示体験とは、展示を見ている人の側で引き起こされるものであり、さまざまな来場者のそれぞれの中で起こる気持ちの変化を完全にコントロールすることは(少なくとも私が知る範囲では)できない。
そのような明確な「正解」のない展示作りにおいては、基本的にアイディアは次のアイディアを生み出すために存在し、その連鎖こそが正解のないところに答えを導く手順となる。
最終的に実際の展示では、伊藤さんのビジョンが以下4つのチャプターを通して表現されている。
チャプター1:微生物の基本的な情報
チャプター2:伊藤さんの専門分野の環境中の微生物についての解説
チャプター3:微生物と人が共生する暮らしを体感する実寸の居住空間
チャプター4:伊藤さんのビジョンの変遷を表現したイラストとアニメ
ここに至るまでに、その土台となる多くのアイディア(いわゆる没案)があった。この場をお借りして日の目を見ることがなかった没案たちを列挙させて頂く。今見返してみても、このような採用されなかったアイディアたちの積み重ねが不可欠だったことを実感する。
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私の数少ない経験に基づけば、展示作りの過程でどれだけ極限までアイディアを突き詰めても、正解に到達することはない。
開き直って言えば、展示はその時点のベスト・エフォートによる暫定的な表現物に過ぎない。
そもそも、展示体験とは何かの終わりではなく、ひとつの空間を介して人と人(この展示では微生物も)との新しいつながりをつくる最初のきっかけなのだ。
そして、繰り返しになるが、その展示を体験して何を感じるかは、展示を見ている人の心の中でしか起こり得ない。
だとすれば、やはり読者のあなたにも是非一度、完成したこの展示を見て頂きたい。
そして、感想を教えて頂きたい。
それこそが私たち展示作りに関わるものたちの苦悩が報われる方法なのだ。