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最初から強い人なんていない。
脱ステをするまでは闘病している人、病気を乗り越えた人たちは強い人なんだと思っていた。
強い人だから乗り越えられたんだって。
私は現在脱ステロイドを始めて2年と2ヶ月くらい経つ。
生後半年から35年間使い続けたステロイドのリバウンドは想像を絶するものだった。
最初は精神的にもエネルギーがあって、前向きな言葉、考えを持って脱ステに向き合えた。
でもそれが半年、一年と続くとどんどん希望の光を失っていく。(長距離走で体力がどんどん削がれていくイメージ)
脱ステは一度のリバウンドで綺麗に治るものではない。何度も何度もリバウンドを繰り返して、少しずつ皮膚は強くなっていく。
(◯◯で一発で完治なんて発信には要注意!)
やっと治った!少し連続して眠れるようになってきた…と思ったら新たなリバウンドが始まるのだ。
もう、その時の絶望ときたら…。(くぅぅっっ)
私は希望を捨てたら終わりだと思っていた。どうにか崩れ落ちる最後の一線を超えないように堪えていた。
"身体さん、ありがとう。感謝をしたら細胞は聞いてくれる。
大丈夫、いつか絶対に治る。"
出来るだけポジティブでいるように心がけた。
そう思うようにして恐怖や怒りや悲しみの感情に飲まれないように耐えていた。
…それが崩壊し始めた。
今まで押さえてきた感情が溢れてきた。
怖い、もう治らないのかもしれない。脱ステ前の顔ももう思い出せない。
憎い。ステロイドを処方した医師が憎い。ステロイドを私に使い続けた母が憎い。神様が憎い。
私は恨んだ。恨めるもの全てを恨んだ。
こんな目に合わせた全てが憎かった。(その時期の私は世界で1番性格が悪かったと思う。笑)
それからどれくらいだろう。
脱ステの2年目は鬱のような無気力な状態が続いた。思い付く恨めるもの全てを恨んで、神様も恨んで、そこにはもう恨めるものも無くなっていた。
今思うと、これが私の底つき体験だった。
(底つき体験とは基本的に依存症の人のターニングポイントと言われている。
例えばアルコール依存症によって家族に見捨てられ仕事を無くし全てを失うようなどん底体験する。そこでやっと心の底からアルコールをやめる決心が出来るってやつ。)
今ならわかるけど私は全力で憎んで苦しんで嘆いて泣き喚いて無気力になる必要があった。
本音じゃないポジティブ思考の低空飛行を続けるよりも一度しっかりと苦しみを感じなきゃいけなかった。
そこまできてやっと受け入れ始めた。前を向くしかないことを理解した。
人はそんなに強くない。今まであったものを一気に失って、はい、そうですか。と受け入れられるわけなんてない。
嘆いて泣き喚いて悲しんで苦しんでしっかり味わったら、そこまできてやっと前を向くしかないことを理解する。
自分が病気をするまでは、大病を乗り越えられる人たちは強いからだと思っていた。(私の言う強い人は、病気を受け入れてそれでもポジティブに前向きに向き合えるような人。)
でも実際闘病してみてわかる。みんな怖かっただろう、神様を恨みたくなっただろう。たくさん泣いて時に絶望して苦しんで。どろどろの感情を経験したんだろう。
強い人だから乗り越えられたんじゃない。苦しみを経験する中で強くなっていったんだ。(道中は泣きながら喚きながら傷つきながら這いつくばってて、みんな同じなんだよ)
そしてある程度して振り返ったときに闘病経験に感謝が出来るようになるんだと思う。
元々強い人なんていない。初めから病気に感謝できる人もいない。経験が人を強くさせる。
ありきたりな言葉なんだけど皆んな同じで誰かが特別に強い(痛みを感じない)なんてことはない。
きっと闘病生活の中で"前を向いてポジティブに"なんて言葉に出会うだろう。その時は言ってやれ。うるせー辛いんだ!と。
良いのだ、ポジティブじゃなくて。しっかりと苦しみや恐怖を感じ尽くした後に前を向くしかない事が分かるから。
良いのだ。強い人じゃなくて。いつか振り返った時に今の何倍も強い人になってるんだから。
(私のリスペクトするYouTuberおじいさんが言ってた。神様に愛されてるから重い試練があるんだぞって。試練があればあるほどそれは愛されてる証拠だよ。って。ありがとう、おじいさん。いつも心を軽くしてくれる。)
あーあ今日もいい事言っちゃった。いつかたまこエッセイを出す為に書き溜めておくんだ。