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闘病生活の中で気づいたこと。


こんにちわ、こんばんわ。たまこです。

私は生まれた時にアトピー性皮膚炎と診断され35年間ステロイド軟膏を使い続けて来ました。
そして2023年の1月にステロイド薬の使用を辞めました。


闘病生活の様子はこちら↓


脱ステ生活はとにかく地獄の様に苦しいです。
人生でそれなりに大変な時期もありましたが
その中でも結構つらいです。

ただ、辛いばかりではなく闘病生活の中でいくつかの気づきがあったので紹介したいと思います。



どれだけ持っていたか気付いた

機能不全家族で育った私は、長い間生きることに喜びを感じられませんでした。

被害者意識も相当なものだったと思います。

ないない、わたしにはみんなが持ってるものがない。私はないものを数えるのが癖になっていました。


それが闘病生活の中で皮肉にも沢山もっていたことに気付かされました。

ゆっくり眠れて好きなものを食べられる健康な体。
人と触れ合える喜び。
社会に出て働く喜び。
お化粧してお洒落する楽しみ。
シャワーを浴びたりサウナを楽しむ気持ちよさ。
言い出したらキリがないけど、今できない全てのことを私は持っていたことに気付かされました。

喜びの少ない人生と思っていたけれど、そこには無数の喜びの経験がありました。

ないものばかりを探しては卑下するのに、あるものは当たり前の様に受け取っていたことに気付きました。

初めは感謝の出来ない未熟な自分へ罰かのように感じていましたが

そこにはたくさんの喜びの経験があったでしょう?

というメッセージと共にわたしの過去を見る目が変わったように思います。



人は状況によって善人にも悪人もなる


脱ステのピーク時には眠ることはほとんど出来ません。1日目眠れない2日目もほとんど眠れない。3日目になるとようやく気を失うように少し眠れます。

これが1ヶ月続くと、簡単にいうと頭がおかしくなります。常に気を張っていて何度も狂った様な痒みに襲われます。全身の皮膚がえぐれているので体を触られるだけでも突き飛ばしたくなります。(主人はボディタッチが多い文化なので、分かっていても無意識で抱きしめたり体にふれようとします)

自分のことは我慢強い、感情コントロールの出来るタイプだと思ってたけど、そこにはまったく別人の私がいました。


小さな物音にも敏感になって
動画を見て笑う主人の声にも腹が立ちます。
楽しそうに生きている全ての人に嫉妬の気持ちが湧きました。 

満たされた環境にいる時は人に優しくいれるけど、本当に辛い時は喜びを感じている全ての人が憎らしく思えました。

性格の良し悪しとは元々もっているものと思いがちですが、環境によって大きく左右されることを知りました。

あまりの自分の性格の悪さに自己嫌悪と
こんなのは私じゃないと否定したくなりました。

性格が悪くなったというよりも
こんなに強くネガティヴな感情を持たなくて良いくらい闘病前の私は余裕のある環境にいたのです。

攻撃的な人、ネガティヴな人を見て
残念な人と一括りにするのは簡単ですが、
彼らもいろんな背景があって余裕がないのだろうと自ら体験して気付くことが出来ました。
きっと一番泣きたいのは彼らなのだと思います。人を嫌い自分を嫌うのはとても辛いことです。



"辛いことを経験した人は優しくなれ
る"

この言葉を聞いた時、痛みを知ってる分人の痛みに寄り添えるような優しさをイメージしていましたが実際は赦す心に近いような気がします。

本当に辛い状況にいる時"良い心"で居続けるのはとても難しいです。
もちろん人を攻撃するのは良いことではありませんが我を保てないほどの辛い時期が人生にはあるものです。
そういう時に人は自分も他人も裁きます。



慈悲をやさしく言いますと、親切な 心、やさしい心、あたたかな心です。 少し古い言い方ですと「なさけ」「なさけ深いこと」といえます。 困ったり苦に陥っている生命あるもの、人々に手を差し 伸べる心のことです。

上記にある、人々に手を差し伸べる心というのは赦すこと、受け入れることを指すように思います。

魂は色んな経験をしたくて生まれてくるといいますが、あらゆる立場を経験してやっと相手の気持ちが分かって
学びの最後は自分を赦し他人も赦すことに行き着くのかなぁなんて。



壮絶ネガティヴ体験ではありますが、ここまでこないと分からなかった気づきでした。
まだまだ闘病真っ只中で、この経験に感謝していますとは到底言えないけれど。

闘病生活が真っ暗闇の夜空だとするとそこに浮かぶ星の数くらいにはポジティブな面を見つけられたのかな。











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