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WHYからは始まらない!? WHEREから始める探究論

本記事は、MIMIGURI Advent Calendar 2023の第18弾となります。
6つのキーワード(冒険・葛藤・探究・遊び・理論と実践・自己実現と社会的価値)を基に、様々なバックグラウンドを持つメンバーが記事を書いていますので、是非ご覧ください。
(これまでの記事はこちら!)

アドベントカレンダーのテーマ。本記事のテーマは「探究」かな。

前日の明間さんの「みちばたのデザイン」の記事、めちゃくちゃ面白かった!!!
「散歩」とか「ローカル」とか「ブリコラージュ」とかが個人的にキーワードなこともありテーマ的にどハマりだったんですけど、、、何より明間さんの着眼がジワジワきてやばいので、是非みんなにも読んでもらいたい!



去年のAdvent Calendarで人生初のnoteを書き、その後も何度か書こうとは思ったものの、気づけば丸一年経ってしまいました。そういうタイプの人間が書いてる記事だと思ってご笑覧ください。

「WHY」って尊いけど困っちゃう問い

本記事のタイトルは、10年ほど前に翻訳出版され話題になったサイモン・シネック氏の『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』にインスパイアされてつけたものです。YoutubeでTEDの動画を観たことがある方も多いのではないでしょうか。
チキンなので予防線を張りますが、私は「WHYから始めよ」という考え方は好きです。ただ、それを批判的に捉えてみるところから始めてみようかと…!

普段から、対話やコーチング、組織課題のコンサルティング、新規事業開発の支援など様々な場面で「WHY」「なぜ」という思考やコミュニケーションに遭遇します。ただ、その場面で違和感を持つことが結構多い…違和感というか、すごくモゾモゾする。

僕自身は「なぜ?」を考えることが大好物な人間です。大学時代は環境倫理学という哲学に近い領域をやってましたし。
ただ一方で、「WHY」「なぜ」を発動してもうまく思考が働かない時もある。特に他人から「なぜ?」を問われた時はちょっとストレスを感じてしまう時もある。「WHY」「なぜ」という問いが、必ずしも探究的な思考やコミュニケーションの手助けにはなってないと感じてしまう時が度々あるんです。
もう少し“自然な問い”があるのでは、という仮説をこの機会にまとめてみたいと思います。

「語る」ときに役立つWHY

冒頭でご紹介した『WHYから始めよ!』。これは副題に「インスパイア型リーダーシップはここが違う」とある通り、リーダーシップの実践論です。ここでいう“WHY”は、基本的に「目的」「意志」「ゴール像」などを意味し、時間軸で言えば未来に向けたものを指していると私は理解しています。
「今ここ」を起点として何かを始めたい。そんな時は「WHATでもHOWでもなく、WHYを語ってインスパイアしよう」ということです。インスパイアするのは他人ですが、自分自身でもあるでしょう。そうやって、未来に向けて物事を動かしていく。
ここまでは納得です。大事だと思いますし、役立つ考え方だと思います。あくまでインスパイア型リーダーシップの実践論としてですが。

「探究する」ときに、WHYは役立つのか

一方で、「WHY」「なぜ」が日常で登場するのは、必ずしも「語る」「物事を動かす」ためだけではありません。むしろ「ふと疑問に思う」「原因を探る」「成り立ちに詳しくなる」など、広い意味での“探究”の営みとして登場すると捉える方が自然な気がします。

例えば、私は今MIMIGURIで働いていますが、私自身が内省する時や私に興味を持ってくれた誰かにインタビューされる時、「Why do you work at MIMIGURI ?(なぜMIMIGURIで仕事をしているのか?)」という問いは度々直面します。自然なことではあるのですが、しかしこの先に落とし穴がたくさんある。
「創造性の土壌を耕したいからです!(MIMIGURIのミッション)」と自分なりの言葉で答える(語る)ことはできますし、本心として存在します。ですが、「WHY」「なぜ」への答え方は別にこれだけではない。「生活費を稼ぐため」「好きな人たちと働けるから」「ライフスタイルに合った働き方ができるから」「研究キャリアも積んでみたくて」「社会がこうだから」「MIMIGURIで働けという天の声が聞こえたから」etc..と、本気出せば100個くらい挙げられそうです。

果たして、インタビュアーが聞きたかった「WHY」「なぜ」は何なのか、私が今考えるべき「WHY」「なぜ」は何なのか。果たして今、「WHY」「なぜ」で始まった思考やコミュニケーションは探究の旅路として成立しているのか。

「WHY」の解像度を上げよう

「WHY」の矛先はとても多様だ

「WHY」「なぜ」と問う時、その探究心が向かう(向かえる)場所は、ものすごく多様です。例えば時間軸を意識してざっくり整理してみるとこんな感じでしょうか。

あなたがインタビューされたとして、まずどう答える?

この“多様さ”は、「WHYを入口にして色々なことを探究できる」という可能性であると同時に、「何を探究しているかが雑になる」というリスクや負担でもあります。
雑さとして働いてしまうケースの代表格が「課題解決」のシーンです。例えば、「男性社員の育休取得率が低い」という課題を解決するための社内施策を考えたり、企業向けサービスを開発しようとするとします。おそらく、まず頭によぎるのは「なぜ男性社員の育休取得率は低いのか?」であり、それを明らかにするためのリサーチや対話をするかと思いますが、探究が始まるや否や路頭に迷うこともしばしばです。

Aさん:「男は仕事、女は家庭、みたいな社会の文化が依然として残ってるからだよね…」
Bさん:「男性社員一人ひとりの意識不足でしょう!まぁ、子育てしながら働いてる男性社員のロールモデルがいないから、考えるのが難しいのかもだけど…」
Cさん:「家計を支えるためにも、本当は休みたいけど休めない人もいるのでは?」
Dさん:「個人視点でも会社視点でも、なんだかんだ言って働き続ける方がキャリア的/事業的にメリットがあるからさぁ…」
etc..

全部”正しい”かもしれないが・・・

さて、この後どう探究を進めていけば良いでしょうか。リサーチチームの中で「何をどう探究するか」の整理や優先順位づけについて対話されるなら、かなり健康的です。もし、「どちらの視点が正しいか」という議論をし始めたら、それは泥沼の一歩手前でしょう。さらには、ここまで多様な視点がそもそも出てこず、チームの視点が無自覚なまま最初から1つに絞られており(ex.一人ひとりの意識不足)、それを狭く深く掘り下げ(ex.具体的にどんな意識が不足してるのか?)、解決策を講じるケースも少なくないはずです(ex.啓蒙的な研修を実施する)。その先に待っているのは「施策によって個人の意識は多少向上したが、他の要因は全く変わらないため、対立や矛盾に苦しむ人は増え、肝心の育休取得率は変わらない」といった未来かもしれません。

「WHYの多様さ」に向き合った学問がある

この「WHYの多様さ」を、僕は大学時代(農学部)に気づかされました。「動物行動学」という動物の行動や形質の特徴について探究する学問です。例えば「なぜキリンの首は長いのか?」「なぜ猿は毛づくろいをするのか?」といったことを探究する感じ。
ここでいう「動物」には人間も含まれており、実は心理学の歴史と切っても切れない関係にある学問です。例えば「パブロフの犬」を聞いたことがある方は多いかもしれませんが、あの「ベルを鳴らしたらよだれを出す」→「学習とは条件反射のことだ」→「人間もきっとそうだ!」みたいな話は、動物行動学と心理学が織り混ざった研究です。

「なぜキリンの首は長いの?」「人はなぜ学習するのか?学習とは何か?」といったことを当時の様々な分野の研究者が探究し、「〇〇だからだ!」と各々なりに仮説を編み出していた時に、「いやいや、動物の(人間の)行動や形質を理解しようとする時に、限られた視点だけで全部わかったような気になるんじゃないよ!」と突っ込んだ学者がいます。それが後にノーベル医学生理学賞を受賞したニコラス・ティンバーゲンです。彼は、動物の(人の)行動や形質が「なぜそうなっているのか?」を探究する際には、

  • 各専門領域による”部分的な問い”の探究

  • それらを複合した”総合的な説”の構築

が必要だと説き、その”部分的な問い”を構造的に整理しました。この「ティンバーゲンの4つの問い(4つのなぜ)」は、今も動物行動学の基礎になる考え方となっています。

この図を見て「懐かしい!」と感じる人、仲良くなれそう

「至近要因/究極要因」などの専門用語の説明は省きますが、気になる方は東洋大学の授業動画が公開されてて分かりやすいので是非!
一応イメージをお伝えするために、例だけ出します。

問い:「なぜキリンの首は長いのか?」

機構:「他の動物より、首の骨1つ1つが長いからだよ」(≒解剖学的な視点)
発達:「受精卵から大きくなる過程で、〇〇遺伝子の働きによって〇〇ホルモンが分泌されるからだよ」(≒生化学的な視点)
機能:「他の動物が食べられない高さにある葉っぱも食べられるからだよ」(≒生態学的な視点)
進化:「元々は首の短いウシだったけど、長年かけて適応してきたからだよ」(≒考古学的な視点)

子どもに聞かれたら、皆さんは”どんな視点で”答えますか?

これを転用して、先述のビジネス例も整理してみましょう。
(※あくまで”転用”なので、厳密さは一旦横に置いておきます)

問い「なぜ男性社員の育休取得率が低いのか?(なぜ「育休を取得しない」という行動をとるのか?)」

機構:「家族と一緒に検討して、そう合意したから」(≒個人の視点)
発達:「従来の働き方をロールモデルにしてきたから」(≒職場風土、人材開発の視点)
機能:「キャリア形成や事業上のメリットが働くから」(≒人材開発、経営の視点)
進化:「家庭内の性分業的なジェンダーバイアスが依然として社会に残っているから」(≒社会の視点)

個人の興味関心や専門性、役割によって着眼点がかなり変わりますよね

「WHY」の矛先を交通整理してみる

動物行動学は「過去〜現在」の時間軸を探究する学問であり、未来予測(ex.これからキリンの首はどうなるか)を主題にはしません。一方、私たちが日常の中で他者や社会に探究心を持つとき、「未来」に向いた意志や展望の存在も重要な観点です。
それらを踏まえ、私たちの日常の中で個人や社会に対して働く「WHY」という探究心の矛先を、以下のように交通整理してみました。

ドヤるほどのまとめじゃないけど、日常的にはかなり“雑”に問うてる気がする

こうすると、「WHY」「なぜ」という言葉を用いながら、実は自分が探究したいこと(内省したいこと、相手に聞きたいこと)が何なのか、ある程度メタ認知することができるかもしれません。
もちろん、最初から「この辺だ」とあたりをつけること自体が難しく、「探究したいことは何なのか?」が自分でも曖昧な中で探ることも多々あります。カバンの中も、机の中も探したけれど見つからない…自分が探しているものが何かもわからないし、見つかって初めて「これを探してた」となる気がするケース。そんなケースであっても「探しに行く場所にはパターンがあるのだ」ということを知っているだけで、旅路はだいぶ楽しくなれます。教室なのか、山なのか海なのか、タイムワープして過去なのか、探究(WHY)の旅路の見取り図を頭の中に持っておくのはオススメです。

「WHERE」で問うてみよう

探し物は、ゆるっと探したい

さて、ここまでで書いてきてもうだいぶやりきった感はあるのですが、記事タイトルに置いた「WHERE」についても頑張って書きます…!

交通整理をしたことで多少は「WHY」の実践性を上げられたかもしれませんが、最後に触れたように「そもそも自分でも探し物がわからない。探し物がどこにあるのか見当もついていない。」という状況はよくあることです。
私事でいうと、最近また個人でのお仕事も少しずつ増やしていこうという気持ちになっているのですが(ここ1~2年はほとんどしてなかった)、そう思い始めた理由(WHY)や、何のため(WHY)にどんなことをしていきたいのかを明確にしようとすると、仮にこの見取り図で洗い出しても結構難しいです。

この難しさの正体は、個人的には「しっかり見つけなければ!」という謎のプレッシャー感にあります。見取り図を基に「仮説を立てて進む!」という積極的な方法も良いんですが、もう少し「俺の探し物どこにあるんだろうな〜。なんとなく、あそこらへんにある気はするんだけど…どうだろうなぁ〜」というゆるっとした温度感を結構大事にしながら探究したいと思う自分がいます。

そんな中で最近多用しているのが「WHYではなくWHEREで問う」でして、それを紹介できればと思います。

私たちはご縁の世界に生きている

WHYの見取り図では「過去→現在→未来」「個人↔︎社会」というシンプルな軸で整理しました。しかし、私たちの生きる世界はそんな単調な軸だけで整理できない複雑なものです。何が原因となり、どんな結果を生むのか。「今、私に起きていること」を、過去の結果と捉えるか、未来の原因と捉えるか。いかようにも捉えられるし、捉えきれない因果の中で生きています。

色即是空、空即是色なり

上記のような世界観・人間観を象徴するものとして私が好きなのが「与格」という文法構造です。主格/与格の対比で考えるとわかりやすいのですが、例えば「太郎くん“が”本を読んでいる」は主格、「(親が)太郎くん“に”本を読み聞かせている」が与格です。後者において、太郎くんは「本を読み聞かせられている」という受け身な感じ。(後者も親視点で言えば主格)
もし私が太郎くんについてリサーチするとして、「太郎くん“が”本を読んでいる」であれば、「なぜその本を読んでいるんだろう?」と太郎くんの内面にある動機を探るような思考になると思います。一方で、もし「親が太郎くん”に”本を読み聞かせている」という状況であれば、まず考えるのは「太郎くんの親はなぜこの本を読み聞かせるんだろう?」「親と太郎くんはどんな関係なんだろう?」「太郎くんはどんな気持ちで読み聞かせの時間を過ごしてるんだろう?」と、この状況に至る経緯状況に対する心情を探る思考になります。少なくとも「なぜその本を読んでいるの?」という問いは湧きませんし(「親が読んでくれているから」的な回答になりそう)、「なぜ読み聞かせられているの?」という問いも変な感じです。

子どもに「なぜ?」って聞き方をしても、だいたい少しスベりません?

このように「本を読む/読み聞かせられる」という現象であれば私たちの日常感覚でも区別しやすいですが、一部の文化圏・言語圏(インド・ヒンディー語)では「感情」「気持ち」などに対しても与格的に捉える世界があります。(私が敬愛している中島岳志先生が書かれた記事がとてもわかりやすいので是非!)
このヒンディー語的な世界観においては、例えば「〇〇したいという気持ち」も、「私“が”〇〇したい!」と意図的に感情を有していると捉えるのではなく、「私”に”〇〇したい気持ちがやってきて、留まっている」という俯瞰的な捉え方をします。先の例で言えば、「太郎くん“が”本を読んでいる」でさえも、「太郎くん“に”本を読みたい気持ちがやってきて留まっている」と捉えられる感じ。これであれば、自分で本を読んでいる太郎くんに抱く「なぜその本を読んでいるんだろう?」という問いも、決して「何か内なる動機があるはずだ…!」という前提で見るのではなく、「その本を読みたい気持ちは、どこからきたのだろう?」というまなざしで向き合うことが可能です。これが「WHEREで問う」のイメージです。

「どこから?」という問い方をすると、だいたい相手は「え、そんな風に聞かれたことはないけど、何だろう…!」と面白がります。小さい子どもだと直接問うのは難しいかもだけど。

また、「WHERE」で問えるのは必ずしも「どこから?」という来し方(経緯)だけでなく、「どこへ?」という行く末(展望)を問うこともできます。「どこへ行きたくて、この本を読んでいるのだろう?」「この本を読んだ先に、どこへ向かいそうか?」といった問い方も魅力的です。

「来し方」に出てきた存在に、「行く末」としても再度影響を与えるケースももちろんある(因果応報)

「探究する」とは、「物語を紡ぐ」こと

私たちは日頃、認知の枠を超えた様々なものに影響を受け、影響を与え続けている中で、「今ここ」を起点に過去や未来を内省したり、対話しながら想像(意味づけ)をしていきます。ここで必要なのは、過去の要因や未来の予測を全て洗い出し、客観的に正しく整理することでは必ずしもありません。

  • これまでの様々なヒト・モノ・コトとの出会いが原因となった、結果としての「今」や「自分」

  • これからの様々なヒト・モノ・コトと出会いながら結果を生む、原因としての「今」や「自分」

その両面を引き受ける営みだったりします。
物事を調べたり、過去を振り返ったり、未来を想像したりする「探究」の営みは、何度でも何度でもご縁を解釈しつづける編集行為=物語を紡ぎつづける行為である、というのが私の探究観です。そして、だからこそ探究の旅路は「ほどほどのプレッシャーならまぁいいけど、基本は心地よくやっていきたい」ですし、それを誰かと一緒にやるなら尚更、というのが信条です。

「WHEREから始める探究」の実践論

最後に、探究論としての「WHY」「WHERE」の使い方を簡単にまとめておきたいと思います。

ベーシック編:問い方を工夫する

ここまでの要約になりますが、「WHY」「WHERE」という問いの活用法を仮にまとめてみると以下です。

  • 見取り図を意識しながら「WHY」で問う

    • 「過去→現在→未来」「個人↔︎社会」という枠組みを意識して問うてみる

    • あるいは、まずは敢えて雑に「WHY(なぜ)」と問うてみる。そこで自然と出てくる視点(「過去→現在→未来」×「個人↔︎社会」の枠のいずれか)があれば大事にして、徐々に他の枠に展開してみる

  • 気楽に「WHERE」で問う

    • 見取り図を踏まえても「WHY」という問い方が自分/相手の中であまり刺さらない気配があった時、「WHERE」で問い直してみる。

    • まずは、来し方(経緯)を探る。つまり「結果としての今や自分」を解釈してみる。

    • 次に、行く末(展望)を探る。つまり「原因としての今や自分」を思い描いてみる。

特に他者に対して問いかける時、「なぜ?」は無自覚に“詰め寄りムード”を生んでいることが実はかなりあるので、「どこから来たんだろうね〜」と一緒にのんびり探すような気持ちで問うことがすごく重要だと思っています。

アドバンス編:“代理”の力で“俯瞰”を働かせる対話の場づくり

「どこから来るのか?」は、ご縁を“俯瞰的”に捉える側面があります。つまり「俯瞰」が働きやすい対話の場づくりがアドバンス編となります。
そこで、最近私が実践した対話の場づくりを1つご紹介します。

【自分の代わりに語ってもらう「代理人」対話】
※最小人数は3人、できれば4人以上。

  1. それぞれの「今まで」や「これから」を考える起点になるお題を1つ設定する(ex.この一年で最も労ってほしいことは?)

  2. お題を基に、Aさんが浮かんだことを語る。Bさんが聞き手となり、Cさんは「Aさんの語ったこと」「Bさんの質問」をメモしていく

  3. メモを基に、CさんがAさんを演じる形で、先ほどと全く同じやりとりを”再演”する。Bさんは引き続き「聞き手」をやる。

    1. Cさんは「完璧な演技」がゴールではなく、あくまで「可能な範囲」で真似ればOK

    2. 再演の間、Aさんは場から離れて眺めるだけ

    3. 再演の最後、Bさんは初演(Aさん本人)の時にはしなかった問いを1つだけ追加で行う。CさんはAさんを憑依させたまま、浮かんだことを無責任にノリで語る(答える)

  4. 全員で振り返り、対話する

    1. Cさんは、真似てみてどうだった?(特にAさんについて理解が深まったことは?)

    2. Bさんは、聞き手をやってみてどうだった?(特にAさんについて理解が深まったことは?)

    3. Aさんは、自分で語ってみて&他者が自分を真似て語ってる様子を見てどうだった?(特に自己理解が深まったことは?)

    4. 上記を振り返りつつ、「Aさんの“今の気持ち”はどこから来て、これからどこへ行きそうか?」を皆で対話する

  5. 上記を、役割を入れ替えて順繰りで行う

「よく知っている仲」でやるのも「見知らぬ人同士(第一印象頼り)」でやるのも、それぞれ面白さがあっておすすめです。
活字だけではイメージしにくいかもですが…年末年始ですし、節目の時期だからこその対話の場づくりの参考になれればと。

まとめ|「WHY」で始まる探究に、「WHERE」の補助輪を

今回このテーマで書こうと思った時の私のテンションは「物事はWHYから始まってねぇよ!そのWHYがどこから始まってるかが問題だろ!」でした。
ただ、ここまで書いてきて今思うのは、言うまでもなく「WHY」は普遍的な問いであり(探究心の基本形だし、探究の旅路の中でリーダーシップが重要になるシーンもある)、探究の原動力だと思います。
大事なのは、「WHY」という原動力を活かす補助輪が必要だということ。その補助輪の意義は、単に「より前に進むようになる」というだけではありません。「WHY」のパワフルさ故に時として生まれる盲信性(唯一解を出そうとする気持ち)や暴力性(説明責任を果たすべきという圧力)から、ほどよく思考や関係性を解放してくれることかなと思います。
肩の力を抜いて、様々なご縁に向き合って応答しつづけるムードづくりが「WHERE」の問いで少しでもできたらいいな、という今の気持ちで締めさせていただきます。


MIMIGURIアドベントカレンダー2023、第19弾はデザイナーの田島さん(たじー)!
並々ならぬデザインへの情熱を持つ人がどんな記事を書くのか楽しみです!(デザインについて書くか知らないけど)

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