何かを失ったら何かを手に入れるチャンス
子供と生活していると気づくことは多い。
新しいおもちゃで遊びたいなら、今手に持ってるおもちゃを手放さないといけない。
そんなことさえ気付かないで泣いている子供を見て愛おしいな、と思う反面、大人になっても同じことで悩んでるよなって思う。
大人になって「あれも欲しい〜!これも欲しい〜!なんで手に入らないの〜!ぴえん。」みたいに露骨にアピールする人は多くはない。(いることはいる)
羞恥心や体面があったりするし子供みたいに泣くことはないけど違った形で表出することは多いと思っている。
例えば不満を愚痴に出したり、イライラして物に当たったり人に当たったり、自分を傷つけてしまったり。
総じてストレスと呼ばれるネガティブなものとして捉えられる。
ストレスの原因は大抵に理想と現実のギャップにあると思っていて、そのギャップを埋められない時にストレスを感じる。
でもこの理想と現実ってのはさっきの子供のおもちゃの話と一緒で、今手に持っているおもちゃが現実であって、欲しいおもちゃが理想ってことなんだと思っている。
慣れ親しんだおもちゃには愛着も湧くし安定した楽しさもある。それを手放すのはちょっと受け入れ難い。
でも新しいあのおもちゃには今持っているものと違う面白さがありそうだぞ。ちょっと遊んでみたいぞ、新しいおもちゃ。
でも両手は慣れ親しんだおもちゃでいっぱい。欲しいけど手に入らない。このおもちゃを手放して他の子に取られたらどうしよう。そう思ったら余計に手放せない。でも新しいおもちゃ欲しい。
そんな感じ。
ストレスマネジメントはシンプルな問題と考えていて、どっちかを選ぶ課題と認識している。
今を選ぶか、違う何かを選ぶか。
この課題が出現したときの、多くの場合は違う何かを選んだ方がいいことが多いけどそこには今のおもちゃを手放す勇気が必要になってくる。
その勇気は自分の中から湧き出るものかもしれないし、論理的に裏打ちして導き出すこともできると思うし、誰かの後押しがきっかけになるかもしれない。
勇気が出ずに、消極的に今を選ぶ場合、そのギャップを埋めることはできずに心の奥底に何かが淀んでしまうことだってあるだろう。気にせず生活できるならそれもいいだろう。でも何度もその選択に違和感を感じるならいつか一歩目を踏み出すことが来るんじゃないか、むしろ一歩目を踏み出せないからこそストレスによる変調が出てしまうんじゃないかと思っている。
一歩踏み出すのは怖くないよ。わからないから見えないだけでその先にはきっと後悔しない世界が見えるし、きっとそれは新しい何かを与えてくれるチャンスだと思うから。
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