「俳句」を遊べ②


    春風や 闘志いだきて丘に立つ
    
    
皆さんは、この句をご存知だろうか。
    高浜虚子が39歳にして、俳壇へ復帰した際に詠んだ作品だ。
    「そもそも俳句辞めてたんだ」という声が上がっているであろうから、簡潔に伝えておこう。
    関わるのは二人の人物。旧時代の天才「正岡子規」と新時代の鬼才「河東碧梧桐かわひがしへきごとう」だ。
    虚子は、正岡子規に深く傾倒していた。それ故に、彼の死を以って虚子は俳句界から忽然と姿を消したのである。1902年。虚子、28歳の時である。
    また、彼には同世代のライバル・碧梧桐がいた。互いに愛し合い、切磋琢磨し、俳句界——あるいは、文学界にその名実を知らしめんと奮闘していた。
    虚子が俳壇から姿を消してから11年。碧梧桐は、新傾向俳句なる新たなる風潮を創造し、牽引していた。虚子と共に追いかけた夢を、虚子おらぬ今、叶えたのである。
    そんなある日、虚子が突如俳壇へと返り咲いた。かつての強敵ともだちたる、碧梧桐の掴み取った夢と戦うために・・・・・・。

    というのが、話の大筋の流れである。要するに、ライバルを追いかけて俳壇に戻ってきたわけだ。
    その時に詠んだのが、冒頭の一句。
    
    春風や 闘志いだきて丘に立つ
     
   
言ってしまえばシンプルな俳句だ。老若男女誰にだって意味はわかる。春の穏やかで暖かい、それでいて背中を押すような風に晒された若き青年の姿。その目には確かな闘志が宿り、心には灼熱が燃えている。
    それ以上でも以下でもない一句だ。だが、それ故に無駄がない。
    喩えるなら、高級割烹のすまし汁。食材の味と真摯に、時には血反吐を吐くような思いで向き合い、その果てに辿り着くことのできる濁りや雑味のない黄金の出汁。
    それとよく似ている。一見すれば、誰にでも読めそうな映像と言葉選び。それなのに、その裏には圧倒的な経験値と技術、そして何より情熱が充ち満ちている。洗練された究極の一杯(一俳)なのである。

    俳句を始めたばかりのころは、ついつい小手先の技術や、「それっぽさ」、名句の真似事に走りがちだ。
    桜は散らせたくなるし、なんとなく死とか生とか哲学的なことを詠みたくなるし、破調とか比喩とかしてみたくなるものだ。
    とはいえ何事も、スタートは「模倣」からであるから、もちろんそれを悪だの愚だのと言い放つつもりはない。むしろ、そうあって然るべき成長の過程。はいはいの後につかまり立ちがあるのと同じだ。
    だが、語るべきはそれに甘んじてはいけないということ。赤子の「できない」「しらない」と、大人の「できない」「しらない」では意味が違う。
   「俳句」を遊べ。
    それは、赤子が遊びの中でコミュニケーション能力や、論理的思考力などを身につけていくかのごとく。とにかく遊べ。遊び倒せ。鬼ごっこに飽きたら、「氷鬼」やら「隠れ鬼」やらを生み出せばいい。
    そうした創意工夫の果てに本句のような、洗練されたシンプルがあるのだ。

    「模倣」がいつの日か「魔法」となるまで、我々は「闘志」を抱き続けねばならないのである。


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