【限定公開】重年〜詩の礫に寄せて〜
※2021年3月11日 詩の礫に寄せて書いた作品です。
重年 横山黒鍵
言葉などふようで、養って、美しく育てよと、なんどもなんどもなんども願ってもその手を離れていくのです、それが花です。花と呼びました
灰が積もるようですね、遠くを見ようとしていました。誰かがあなたに向かって、刃物を差し出します。それを受けるのですか、太陽の刃は後ろ足をきれいにソテーして逃げることはできませんでした。
そう、じゅうねんたっても
じゅうねんたってみても
たくさん、わらいました、沢山の祈りを浴びました、検査薬がひかる、その色を空に擬えるのをやめました、ざわめく耳の奥、
みずの、ね、はまだ轟いて、いまもなお
海は垂れ流されて、生まれたてのわたしのように、誰かの助けを必要としているのに、だれかの
言葉などいらなかった、ただ生きていたかった、探しにいきましたか、であえましたか、出会えない人にも出会って、私たちは逃げ延びてきましたか、
ありがとうございます、ありがとうございます
生き延びてしあわせです、笑うこともできるようになりました
それでも
○
じゅうねん まってみても
うたうしかなかった
うたわせないで ほしかった
ふるものは つもるもの
つもるものは かこうもの
いくせんのみちひきのうみ
はかなくもなく しぶとくもない けれど
ちんもくしてしまったものがある
わたしのからだに根づいたもので
こわばったしこりで
うまれてくるのをこばむものがある
のみこまれてしまった たくさんの
ゆうじんや かぞくは
かくされて しまっても
わすれ すて られない
のこされたものたちが とみ
だいたい たいだといってしまってもよく
こわれやすいふるさとよ
うらぎったと いわないで
あのとき押し寄せてきたものより
ひくく ずっとひくく
くさむして くさをむしって
くろいつちをつめいっぱいにつめて
大地だ
いまでは わらうこどもがあり
わらう としよりたちがいて
ただしい太陽が てらすみちをあるいても
ずっと かこわれている
かげには たとえば 薬屋の
くちた オレンジのこどものぞうが
しゅじんのかえりをまっている
こうべをたれ まっている
えりそでをまだ草の海に浸して
かわらぬいろのまま
よつあしで かけだしそうで
それでも
また うたうしかない
それがうただ
じゅうねん たっても
○
みなみそうまに
朽ちた薬屋があります
あの時のまま、それでも草はいのちを伸ばして
いっしんに生きて、種をまき
薬屋を草原にかえました
薬屋の薬屋さんは帰ってこず
製薬会社のマスコットの
かわいいオレンジ色のゾウさんも
笑顔を浮かべたまま
かしがっています
ふるさとを捨てるのは
つらいもの
だけれど ふるさとがなくなっても
ひとは生きていけます
この薬屋を捨てた薬屋さんも
きっとどこかで生きていて ほしい
草がはびこって
じゅうねん経っても朽ちなかったこの建物も
やがては朽ちていくのでしょう
手付かずにして
わたしたちのこころにはびこりながら
じゅうねんたっても、そのつぎの
じゅうねんがたっても
みないふりをして
ふるさとをころすのは
ひとです、ふるさとを、うばったのは
ひとです、そのひと、たちの
軋みのなかで、
まだ、残されている
痛みがある
じゅうねんたっても、そのつぎの
じゅうねんがたっても
わたしたちは うたうのでしょう
わすれるまで、わすれられないと
わすれては、ならないと
そう、うたうのでしょう